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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

小泉首相、軽く見られただろうなぁ

2006年07月03日 | 国際・政治

最初に断っておくが、私は以前から小泉首相を支持している。しかし今回の訪米の件、特にメンフィスまで行ってプレスリーの歌まで歌ったのは感心しない。これは日本国内より海外で甚だ日本の首相が軽く見られたのではないかと危惧する。

エコノミスト誌はこういう表現を使っている。With the only world leader to have serenaded him with the Elvis Presley song "I want you・・・" エルビス・プレスリーのI want you, I need you, I love youをブッシュ大統領に歌ったたった一人の世界の指導者・・・

現在の欧米の慣行はいざ知らず、古代中国から続く東洋の伝統では、一国の王が他国の王の前で歌を歌うといった芸人の真似などしないものだ。何故なら芸人の真似をするということは臣下の礼を取るということだ。もし対等の関係を保つのであれば相手にも歌を歌わせる等の芸をさせなければならない。こんなことをしているから、エコノミスト誌にワールドトレードセンターの爆破事件の後、小泉首相は日本をアメリカの後に投げた Mr Koizumi threw  his country behind Americaと言われるのだ。もっとも小泉首相やブッシュ大統領はこのような意識をどれ程持っているのか分からないが。

小泉首相の訪米をブッシュ大統領が心から歓待したことは疑う余地はないが、一般のアメリカ人が心から歓迎したかどうかはよく考えておく必要がある。小泉首相は当初上下院の議員を前に演説する心積もりだったそうだが、米国の議員達の反対で計画はぽしゃった。その先鋒に立ったのが、戦争経験のあるヘンリー・ハイド上院議員(国際関係委員会委員長)だ。彼は「小泉首相が日本の敗戦日である8月15日に靖国神社に参拝するのであれば、日本の真珠湾攻撃を公然と批判したルーズベルト大統領と同じ演説台を使うことは好ましくないだろう」と言っている。

また中国や韓国ほどではないにしろ、戦時中日本軍が捕虜を残虐に扱ったので日本の戦犯行為に嫌悪感を持っている人がアメリカにいることは事実だ。こういうことはきちんと踏まえておくべきだろう。

今回の小泉首相の訪米は彼個人のためには良い思い出になったろうが、日本のためには尊敬を勝ち得る様なものではなかった様だ。有終の美を飾るということは難しいことなのだろう。

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狂女恋せよほととぎす

2006年07月03日 | うんちく・小ネタ

先週末京都の実家に帰った時庭に紫陽花が咲いていた。私の実家というのは洛北岩倉のお寺である。「あじさい」「岩倉」というと江戸中期の俳人蕪村の絵を思い出す。右上に左を指して飛ぶホトトギスがあり、左下に紫陽花が描かれている絵だ。ホトトギスの下に小さく三行に分けられた句が書かれている。

岩倉の狂女恋せよほととぎす

高橋 治「蕪村春秋」(朝日文庫)によれば「京、岩倉にある寺の境内の滝は、昔から狂気を治すのに効があるといわれた。ほととぎすの啼く声は、狂女が恋人を求めて泣く声を思わせるとの発想から出た句だろう。」

もう少し解説を加えよう。岩倉にある寺とは大雲寺で天禄2年(971年)円融天皇の勅願で建立された古刹だ。後三条天皇(第71代、1034年-1073年)の皇女佳子内親王が精神障害を患った時、霊告により大雲寺の滝の水にうたれ井戸の水を飲んで平癒したということがある。爾来岩倉は精神障害者の療養の場所として有名だった。蕪村の時代には4軒の茶屋(精神障害者の療養所)があったと聞く。私の子供の頃には近代的な精神病院の他にこの古い療養所の建物が1,2軒残っていたことを記憶している。

現在の大雲寺は昔の大雲寺から少し東に下ったところに今作りの小さな本堂を残すのみで、昔の面影を偲ぶものはない。ただ今も精神病その他の難病のご祈祷を求める人は結構ある様だ。お寺の前には私の母が育てたピンク色の紫陽花が咲いている。無論蕪村の紫陽花とは何のつながりもない。

ところで前掲の「蕪村春秋」によれば蕪村には一句も紫陽花の句がないということだ。著者は「信じ難い。(紫陽花は)蕪村好みの花と思える上に、色彩からして絶好の画材だという気がするからだ。」というがないものはないらしい。

ところで芭蕉の紫陽花の句も現存するものは二句にすぎないということだ。その中の一句

紫陽花や藪を小庭の別座敷

江戸時代どうして紫陽花が俳句の対象として余り人気がなかったのか?といったことはいずれ調べてみたいものだ。

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