7月の三連休の中日は雨だったので、山歩きは止めて富岡製糸工場跡を見学して帰ることにした。今回初めて知ったが今同工場を世界文化資産にしようという運動があるのでちょっと楽しみにして訪ねてみた。白樺湖北の姫木平を9時に出発し、ずっと一般国道を走り内山峠を越えて製糸工場跡に11時15分到着。内山峠を過ぎた辺りから見る荒船山の岩場は中々迫力があった。
富岡製糸工場は現在は現在は富岡市の所有になっており、無料で建物の外部を見学できる。駐車場は東繭倉庫の裏(入り口の右側奥)にある。ボランティアの方が説明をされる時がある。私達夫婦は11時からの説明に少し遅れて参加した。詳しくは次のホームページをご参照。http://www.city.tomioka.gunma.jp/worldheritage/
写真は繰糸工場を正面から見たところだ。
この写真は繰糸工場内部の機械。昭和62年まで操業をしており、今も使える状態にあるということだ。
屋根を支える三角の木組みが当時では最新式だったそうだ。 次の写真は東繭倉庫の概観だ。
次の写真は富岡製糸工場の建設当時から指導に当たったフランス人ブリューナが住んでいた建物ブリューナ館である。
製糸工場の中にあった年表の主要部分を転記しよう。明治3年2月 渋沢栄一、器械製糸工場の設立を政府に上申。同年7月ブリューナが工場適地(武蔵、上州、信州)を視察。同年10月富岡に開設を決定。
明治5年10月操業開始。明治6年女工数404人。明治23年民間払い下げを決定し、明治26年入札により三井家に譲渡。昭和13年9月片倉製糸紡績株式会社富岡製糸所となる。
昭和62年3月 工場の操業停止。
なお世界遺産には古いお城や教会、寺院などが多く登録されているが、19世紀から20世紀にかけて建築された近代工場なども登録されている。よって富岡製糸工場が登録される可能性は十分ある訳だ。
日本は開国直後から西欧の先端技術を取り入れ、工業化を目指し世界史上希に見る高度成長を遂げたがその原点の一つがここにある。日本が世界に誇るべき遺産というべきだろう。早く建物の内部等も見学できる様にして欲しいものである。