金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

金融マンも人相学をやる時代?

2009年03月10日 | うんちく・小ネタ

中学生か高校生の頃、リンカーンの人相に関するエピソードを読んだことがある。粗筋はこうだった。

リンカーンが大統領になった時、ある人が彼の有力な支持者を閣僚に推薦した。ところがリンカーンはこの支持者を閣僚に任命しなかったので、推薦者は何故彼を任命しないのか?と質問したところ、リンカーンは「彼の顔が気に入らない」と答えた。推薦者が顔は彼の責任ではないでしょうと反論したところ、リンカーンは「いや、男は40歳を過ぎると自分の顔に責任を持たなければならない」と答えた。

近時このエピソードを耳にすることは余りなかったが、この話が復活するような記事をエコノミスト誌で読んだ。それは「人の顔は道徳的特性や信用力を表す」という研究に関するものだ。

研究をした人はジェファーソン・デュアートというテキサスのライス大学の助教授だ。彼とその仲間はオンライン金融仲介サイトProsper.comを利用して人相と信用力の相関関係を調べた。この金融仲介サイトはお金を借りたい個人が、信用情報等を添えて申し込みを行うと複数の貸し手がその情報を元に条件を提示する。そして提示された条件(金利)の有利なものを借り手が選ぶという仕組だ。

写真の添付は借入申込の必須条件ではないが、しばしば写真を添付する申込人がいる。デュアート助教授はアマゾンのメカニカル・タークというサービス(詳細は省略するが、オンラインベースの労働力提供スキーム)を使って、25人の人に顔写真から借入申込人の信用力を数値的に判断させた。この顔写真つまり人相による信用力の推定と信用履歴に基づく借入申込人の信用格付は高い相関関係を示した。

このような信用判定が有効だとすると、銀行やサラ金などで早速実務に取り入れたいところだろうが、デュアート助教授の研究は「人相のどのような特徴が信用力を示すか?」を特定するものではないということだ。

体系だった人相学を勉強した金融人は少ないだろうが、経験豊富な金融人は自分で体験したり、先輩の話を聞いたりしながらある程度人相を信用力の判定に使っている・・・と私は思っている。私の経験でも取引先の社長や役員の容姿・態度からそ人物や会社の将来を予想したことは多い。だがそれは総合的かつ直感的判断であり、「形式知」としてマニュアル化することは難しいだろうと私は思う。

人相学というと日本では江戸時代に水野南北という大家がいた。彼は人相・骨相を調べるために銭湯の三助になったり、火葬場の穏亡(おんぼう。差別用語らしいが江戸時代の話なのでご了解を)になったりして、観相学の大家になった。だがその南北をしても人相だけで人の寿命・幸不幸を見極めるのは難しく、その人の食事・飲食の習慣による推察を併用したと聞く。つまり正しい食事(南北によると「米は食べずに麦を食べ、酒は一日一合にする」)をしていると健康で長寿を保て、不摂生な食生活は不健康・短命を招くということ。これは極めて科学的な話だ。

この不況の時代、金融界の人も実業界の人も苦労が多いが見た目は明るくしたいものである。見た目が暗いと信用の面で損をするだろう。しかし軽過ぎてもいけない。軽さは無責任を想起させる。二重人格や人品骨柄が卑しい人も私は嫌いだ。

少し出世した金融人によく見かけるのが「部下に威張り、上司や金融庁にペコペコする」タイプだ。このタイプは質の良いスーツを着ても、人品骨柄の卑しさが滲み出る。金銭面の信用力の程はさておき、人間としては信用できないタイプである。

話がずれてしまったので収束をはかろう。人相とは生き方が滲み出ている面があり(総てではないが)、リンカーンの言うようにある年代を過ぎると責任を負うべきものなのだろう。人相から相手を見抜くには、水野南北のレベルは別格としても、少なくとも相手を上回る位の経験・研鑽が必要だ。

格付機関やアナリストの話も鵜呑みにできないこの時代、観相学を見直すというのも面白そうだ。

コメント
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