当然のことながら本の値段と面白さや読み応えは比例しない。面白さは多分に読み手の関心事に左右されるが、読み応えは書き手の力の入れ方に比例するだろう。私が「中身が薄いなぁ」と感じる本は「続○○」という類の本だ。筆者の中には最初の「○○」がヒットしたので、余り努力せずに最初の「○○」を焼き直した「続○○」を書く場合がある。このような本を読むと「損したなぁ」と思わざるを得ない。
さて最近足立 倫行さんの「悪党の金言」(集英社新書 760円)をアマゾンの中古本で買って読んでいるところだ。ここで紹介されている悪党は保坂 正康、佐藤 優、溝口 敦氏ら8名の異端の作家達(作家が本業でない人もいる)だ。
何故足立氏は彼らを「悪党」と呼ぶのか? カバーの内側に「悪党とは世の大勢に流されず異議を申し立てる者、という謂(いい)である」と説明がある。これは日本の中世史における「悪党」の使い方の下流にあると考えてよい。「悪党」は一般的には社会の秩序を乱す無法者の意味だが、中世では「荘園支配に外部から侵入するもの」や「芸能民や遊行僧」などを悪党と呼んだ。
又中世では「悪」は必ずしも「悪い」意味で使われた訳ではない。「強い」という意味もあった。源義朝の長男・義平を「悪源太」と呼んだのはその典型だ。
この本に登場する8名も「異議を申し立てる」だけでなく又強い。そして実に勉強している。いや強くて勉強しているから異議を申してることができるというべきだ。私は彼らの主張に全面的に賛成するものではない。8人の悪党達は自分の中に矛盾も抱えている。だが良し悪しは別として彼らの送る電流は強い。インタビュアーとしての足立氏はこの電流の最適の良導体だ。
実は私は足立 倫行というノンフィクション作家に若い頃「はまっていた」ことがあった。氏の「人、旅に暮す」とか「日本海のイカ」などは今見ても名著だと思う。足立氏の良いところはインタビュイー(被取材者)と同じ目線でものを見る目線の低さと取材の徹底さだ。2歳年上の足立さんに会ったことはないが、私がサラリーマン時代を通じて「調査レポート」などを書く時、頭の隅にあったのは足立さんのノンフィクションである。
その足立さんが今年の1月に書いた「悪党の金言」を古本で読むのは申し訳ない(印税が入らないので)が、本屋に行くのが面倒なのと少し安いのでついアマゾンのマーケット・プレイスを使ってしまった。
さて「悪党の金言」を面白いと思うかどうかは読者諸氏の関心次第だが、中身が濃いと思われることだけは間違いないと私は思っている。