ここ数日ニューヨーク・タイムズ(ネット版)のビジネス面で一番人気の高いのが、コーネル大学のRobert H. Frank教授が寄稿した所得格差弊害論Income Inequality:Too big to ignore(所得格差は無視するのは大き過ぎる)だ。
フランク教授は、1976年には所得上位1%の層が総所得の8.9%を得ていたが、2007年には上位1%の層が総所得の23.5%を得ている。しかしこの期間にインフレ調整後の時間給は7%以上下落したとまず事実を述べる。
そして同教授は「多くの経済学者は所得格差の問題に直面することを避け、良し悪しは別としてそれは哲学者の価値判断の問題だとするが、そもそも経済学は道徳哲学者により基礎が築かれた」と述べ、アダム・スミスの「道徳感情論」を持ち出す。
だがフランク教授はこれ以上所得格差の問題を道徳的観点から論じない。同教授は「費用収益的アプローチ」から所得格差が国民経済的にマイナス面が大きいことを実証的に説明する。
同教授は企業のトップは他のトップ達が住んでいるというだけで、トップは不必要なまでに大きな豪邸に住む、もっと控えめなところに住んでも幸福度は変わらないだろうがと指摘する。そしてトップクラスの贅沢な生活・消費態度は、「滝の流れ」のようにその下の層へと次々に伝播し、中間層の負担を重いものにすると述べる。
同教授の研究仲間は全米で最も人口が多い100の郡について調査を行い、所得格差が急拡大している群ほど、消費者の経済的困窮を示す兆候が増えていることを発見した。経済的困窮の兆候とは例えば破産宣告であり、離婚率である。また通勤時間の長さも困窮の尺度である。
また同教授は経済的に困窮した中産階級は道路の補修等基本的な公共サービスに対しても支持する意思が低くなると指摘している。
では所得格差の拡大はプラス面があるかというと、同教授は格差拡大が経済成長を高めるとか誰かの福利を強化するという説得力のある証拠はないと述べる。
そして教授は所得格差の是非について公平の観点から哲学的な合意に達する必要はなく、実利的な判断から何か対策を立てるべきだろうと結論つけている。
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米国は個人の自由を尊重するだけに、公平原則等で所得格差の是正を論じることは難しいだろうと私は考えていたが、フランク教授の費用収益的アプローチは中々説得力があると感じた。つまり金持ちの所得を更に増やしても、幸福度という効用はほとんど増加しないのである。(たしか限界効用逓減の法則というのがあったなぁ)
一方金持ちに所得が集中することで、中産階級の所得が減ると彼等が受けるマイナス効果は非常に大きく、健全な社会の形成を阻害する可能性がある。だから国民経済的観点から所得格差の是正(税による再配分を含めて)が必要だというのが、フランク教授の主張だ。
中々説得力のあるエッセーだったので紹介した次第である。