金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

有罪判決率99.9%は世界的には異常な話

2010年10月19日 | 社会・経済

先週末山に行った時、仲間の一人から「最近はブログに書くネタが豊富で良いですね」と言われた。確かに内外とも色々な出来事は多い。だが国内の出来事についてはマスコミ、ブログ、ツイッターなどで多くの情報やコメントが流れているのでワザワザ取り上げなくても良い・・・という気持ちになる。特に専門外のことについては、である。大阪地検特捜部の証拠捏造事件についても、その道の専門家が色々分析されているので、私のような門外漢があれこれ述べることはないのだが、日本の社会が抱える問題の断面が見えるという点から少しコメントを述べてみたい。

日本の社会の断面とは一言でいうと未だに残る「官尊民卑」である。少し詳しくいうと三権分立とは言いながら、刑事裁判においては「検察」(行政)が「裁判所」(司法)の機能を代行し、立法においては「官僚」(行政)が「国会」(立法)の機能を代行する(これは現在「政治主導」ということで変革中という話だが)。

最近日本のことをほとんど取り上げなくなったエコノミスト誌が珍しくProsecutors or persecutors「検察か迫害者か」という記事で日本の刑事裁判の問題を世界の読者に紹介していた。その話の内容は日本のマスコミに流れているものと重複するので、細かい紹介は省略するが、欧米諸国の有罪判決率と人口当たり弁護士の数を紹介しよう。

記事によると日本の有罪判決率は99.9%でこれは中国と同じレベルだ。米国、ドイツ、英国の有罪判決率は85%、81%、55%である。これについて日本は刑事訴訟に係わる人的資源が少ないので、検察は有罪の確信が持てる事件だけを訴訟に持ち込むと日本の法律家は擁護している。ある東京地検の元検事は、もしある検事が一回敗訴するとキャリアをひどく傷付けられ、二回の敗訴はキャリアの終わりにつながるだろうと述べている。

エコノミスト誌に出ているグラフによると、日本の弁護士は人口4千6百人程度に1人。米国では2,3百人に1人、英国とドイツは5,6百人に1人、フランスは弁護士の数が少し少ないがそれでも1千名強に1人という割合だ。つまり日本の弁護士の人口比率は欧米の10分の1程度だと同紙は述べている。なお同紙は言及していないが、欧米の弁護士は日本の司法書士のような仕事も行うので、この数字だけで弁護士の多寡を論じると少し危険かもしれない。しかし日本の弁護士が少ないことは間違いないだろう。

エコノミスト誌は「被疑者は罪状なしに最大23日まで拘留され、弁護士へのアクセスはほとんどない。警察では10時間の取調べを受け、精神面と口頭での虐待を受ける」と紹介している。

この当りになると幸いなことに私は逮捕された経験がないし、欧米のスタンダードも知らないが、恐らく欧米の読者の中には「日本は法治国家といってもかなり中国に近いな。」という印象を持つ人がいるだろう。

この当りのことについては今日(19日)の日経新聞で、刑事訴訟法の専門家 大出良知東京経済大教授が次のように書いている。

「(操作中に間違えましたと言い出せない雰囲気を加速させたという)歴史的な流れで見れば、今回の事件は起こるべくして起きたといえる。過去の冤罪事件でも、程度の差こそあれ・・・・明らかになっていない改ざんはほかにもあるはずだ。・・・実態を知りながら目をつむってきた裁判官も共犯だ。メディアにも責任がある。検察の起訴だけで犯人視する報道を続けてきた」

このようなことが起きた原因について、私は「お上の無謬性」神話を検察や裁判所が守ろうとして、事実を検察のストリーに合わせる悪弊に陥ったことにあると考えている。

このような悪弊は民間企業では法令遵守の徹底や内部告発制度の整備でかなり減っている。

だが「官」においては、悪弊にようやく日が当り始めたところである。悪弊を改めるスタート点は「人は判断を誤る可能性のあるものだ」「官は官尊民卑ではなく、国民にサービスするためにある」という原点に帰ることである。

コメント (1)
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