金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

武蔵野三十三観音、満願近し

2010年10月11日 | まち歩き

10月11日月曜日体育の日。体育の日は晴れることが多いが今日も快晴。風は爽やかだが、日なたを歩くと半袖でも汗ばむほどの気温の高さだ。

さてワイフと始めた武蔵野三十三観音巡りも今日で30ヶ所まで回り、後1回を残すところまでこぎつけた。今日は西武秩父線の武蔵横手から歩き始めた。9時半頃武蔵横手に着いた電車からは沢山の登山客が降りた。大方の登山者は東向きつまり高麗川にそって下る方向に歩き始めている。北向地蔵から日和田山方面に縦走するのだろう。私たちは高麗川にそって上流に向かいまず長念寺を訪れた。

Chounenji

額の下の浮き彫りがきれいなので一枚写真を撮った。

次に向かったのが東吾野の福徳寺。

Hyukutokiji

朱印を頂くべく、お寺の人を探すが不在(帰宅後インターネットで調べると無住のお寺であった)。朱印は1km程先の興徳寺で頂くよう説明書きがあった。

福徳寺の阿弥陀堂は立派だ。建物は国の重文である。

Amida

興徳寺で朱印を貰った後、法光寺へ向かって国道(299号)をひたすら歩く。ゴールの法光寺は吾野駅前だ。途中旧秩父街道の一部を通る。わずかに往時の趣を残す建物もあるが、今日は見学ができなかった。

法光寺に到着したのは正午前。

Houkouji

Agano

吾野駅から東北方面をみると顔振峠付近の稜線が見える。私はまだそこを歩いたことはないので、正確な位置を示すことはできないが、もう少し年を取って里山歩きに専念する日がくれば歩きたいところだ。なにせ源義経が奥州に逃げる時余りの絶景で振り返り、振り返り登ったので「顔振」峠の名前が付いたそうだから。

ところで来週は瑞牆山、再来週は常念岳と遠出の山登りが続くので、武蔵野三十三観音は三十一番目でしばらくお休み。残る二つは子ノ権現から竹寺への山道なので少し紅葉が始まる頃に歩いてこのイベントの締めくくりにしたいと考えてている。

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幸四郎のカエサルを堪能

2010年10月11日 | アート・文化

10月9日土曜日、ワイフと日生劇場に松本幸四郎主演の「カエサル」-ローマ人の物語より-を観に行った。ワイフは時々観劇に出かけているが、僕には久しぶりの舞台鑑賞だった。

Caesar

幸四郎の熱演を堪能。やはり演劇はいいな、と思った。

塩野七生さんの孫引きになるが、イタリアの歴史の教科書にジュリアス・シーザーについて述べた言葉がある。「知性、決断力、類まれなる寛容、肉体の健全、説得力この5つの徳性を揃え持った人物は古来シーザー以外にいない」

「カエサル」の舞台の中で強調されていたのは「寛容」であった。カエサルはローマの統治下に入ったガリア人など属国人にもローマ人並の権利を与えた。人権擁護、自由、個人の意思の尊重という意味で彼が行ったことはユニバーサル・バリュー(普遍的価値)の拡大である。だが彼はそれを推進する過程で、偏狭なローマ中心主義に陥っている元老院と対立し、更に強大な権限を手に入れようとして暗殺者の凶刃に倒れた。

そしてブルータス達シーザーを暗殺した者は、シーザーの後継者オクタビアヌスにより殺され、帝政ローマが始まる。オクタビアヌスに始まる五賢帝の時代は良い統治が行われパックス・ロマーナと呼ばれたことはご承知のとおり。だが良い時代は長く続かず、ネロのような暴君が出てローマ帝国は衰運に向かう・・・・

このように見てくると、独裁政治というものは必ずしも悪い面のみではなく、正しい独裁者を得た場合においては、平和や人権というユニバーサル・バリューが保証・拡大されるということが分かる。ただし独裁政治の問題は正しい独裁者を持つ可能性より、正しくない独裁者を持つ可能性の方がはるかに高いということだろう。

よって我々は民主主義という名の下で際限のない衆愚政治を繰り返すのだろうか・・・

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