これはエコノミスト誌の記事The laureate behind bars(檻の中の受賞者)をベースにしたエントリーなのですが、その前にちょっと私のブログの読者の方から頂いたコメントのことを紹介したいと思います。
先日読者tulipさんから丁寧なコメントを頂きました。それは少し前に取り上げた「孤舟」の話で、著者の渡辺淳一氏を純一氏と誤って書いていたことに対するご指摘です(赤面)。お返事は不要ですということなので、この場でご指摘のお礼を申し上げます。
そのtulipさんが「エコノミストの記事の話題など参考になるなぁ」とおっしゃっておられたので、これからも同誌の興味深い記事をご案内したいと思います。
さて何故劉暁波氏のことを取り上げたかというと、彼の受賞と最近の中国のユニバーサル・バリュー(普遍的価値)に関する議論の高まりとはどのような関係があるのか(ないのか)ちょっと調べておきたいと思ったからです。
「普遍的価値」というのは自由、民主主義、人権などを指す概念です。エコノミスト誌の別の記事によりますと、7月19日に清華大学の卒業式で、中国6番目の銀行・招商銀行のQin Xiao会長が「普遍的価値は、政府は人民に奉仕するもので、資産は国民に所属するもので、都市化は人民の幸福のためのものである」という演説(来賓祝辞でしょうか?)を行ないました。そして同会長は「『中国モデル』の支持者は、反対のことを信じている。つまり人民は国家に従うべきで、国家は資産をコントロールするべきで、個人の利益は地方開発に劣後するべきである」と付け加えました。
「普遍的価値」対「中国モデル」の議論は中国の新しい政治的議論となっています。エコノミスト誌によると、多くの中国人学者はこの議論が本当に始まったのは、2008年の四川大地震で8万人の死者が出た後だと考えています。災害が発生した10日後に広東のリベラルな新聞Southern Weekendは政府の迅速な対応を「自国民に対する責任と普遍的価値を尊重することで全世界に対する責任を引き受けた」と賞賛しました。
2008年8月に中国は「一つの世界、一つの夢」をスローガンにオリンピックを開催しました。このあたりまでは「普遍的価値」論が高揚していたのですが、オリンピックの後の9月、政府は人民日報を通じて「普遍的価値の支持者は中国を西洋化と自由経済化しようとしている。それは中国的社会主義を支持しないものだ」と非難しました。
そしてその年の12月今回ノーベル賞を受けた劉暁波氏が「零八憲章」を起草して「共産党一党独裁の終結、三権分立、民主化推進、人権擁護」などを宣言しました。その後彼は身柄を拘束され、今年2月には「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の刑を言い渡されています。
「普遍的価値」を支持するという意味では、温家宝首相は改革派とみなされています。実際温家宝首相は「政治的改革の保証がなくては、経済的改革の成果は失われる」と政治的改革の必要性を主張しています。http://www.jamestown.org/programs/chinabrief/single/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=36809&cHash=ea62d21370
しかし温家宝首相の改革発言が中国国民に伝わっているかどうかは疑問です(海外での発言はブロックされているようです)。現在の中国では経済の順調さが後押しして、「中国モデル」派の力が強くなっています。2年後の胡錦濤主席の後継者になると推測される習近平副首相は胡・温ラインより保守的と思われます。
ところで劉暁波氏のような反体制派に中国国内で国民の支持があるかというと殆どないと思われます。2006年に彼が書いた文章の中で「中国の反体制運動家は国際的には高く評価されているが、中国内では限られた小さなサークルの中で知られているだけで一般大衆には知られていない」「中国の大衆の政治に対する無関心さが共産党一党独裁終結の大きな障害」と述べています。
劉氏のこれからの運命はどうなるのでしょうか?エコノミスト誌は「中国政府は西洋社会の賞賛を得るために~政治的駆け引きの材料として~、いつか彼を釈放し海外移住を認めるのではないか?これは中国政府にとって、一石二鳥の効果がある。つまり国内的には反体制派の評価を貶め、対外的には中国政府の評価を高められるからだ」と分析しています。
私は劉氏の反体制的な運動と体制内の改革派の動きに直接の関係はないと思っています。だが中国の体制支持派の中にも普遍的価値の重要性を唱える人がいることも事実。ただし国民がそれを受け入れる時は「思想的理由」からではなく、その方が「経済的にメリットがあるから」という理由を見出す時だと私は考えています。