高正寺を出て広い通りに戻ると目の前にうどん屋さんがあった。名前は「安仁屋」。
正午前なのでここで昼食にした。この辺の駅周辺には食べ物屋がないことがあるので、食べ物屋を見つけたらさっさと入っておくのが賢明というものだ。
ところでこの安仁屋、手打ちうどんの看板を掲げているだけあって、腰の強いうどんを食べさせてくれた。年上の女性の厚化粧には一瞬オカマか?と思った(うどん屋さんなのでお釜とは悪いダジャレだ)が、味はしっかりしている。若い愛想の良い女性(娘さん?)の話によると、「農林61号」という小麦(後で調べたら大体のうどんはこの粉らしいが)を使っているとのこと。少し麺が塩辛い気がしたがまあまあのお店である。
安仁屋から10分程歩くと今日最後のお寺圓照寺に着いた。圓照寺で眼につくのは森の大ききさ、境内地の広さだ。鯉が泳ぎ回る池は立派だ。
池の上の白い琴線は池の魚を狙う鳥を防御するためのものだ。
圓照寺の若いお坊さんにこの辺の地名を「仏子」といういわれを聞いてみた。
お坊さん曰く「仏子」は当初「武士」と呼ばれていた・・・ということ。インターネットを見ると室町時代戦争で敗れた武士四人がこの地域に住み着き、武四と名乗り、戦死者の霊を弔った。そして武四が仏子になったという説も有力なようだ。
この由来が正しいかどうかは分からないが、仏子駅(西武線では入間市駅と元加治駅の間)周辺に武蔵野三十三観音をまつるお寺が多いことは事実だ。お茶の生産などで人や物の行き交いが多かったのだろうか?
そのあたりのことについてはいつか勉強したいと考えている。