菅首相は30日の衆院予算委員会集中審議で、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で逮捕した船長の釈放について、「(自民党の)谷垣総裁も、早く解放したほうがよかったのではないかと言っている」と述べたことがマスコミで報じられている。
私のブログを継続的にお読みの方は私が今まで余り菅首相を批判していないことにお気付きかと思うが、その理由はこれ以上短命政権が続くのは余りにも国民経済と国民生活にマイナスだという消極的理由によるものだった。
だが尖閣問題に関する菅内閣の対応については「相当に拙いな」と言わざるを得ない。私が拙いという理由は、中国人船長を釈放したからではない。釈放した責任を政治の責任者が担わないからである。
半藤一利氏は「昭和の名将と愚将」(文芸春秋)の中で「許し難い愚将とはなにかと問われたら、私は端的に”責任ある立場にあって最も無責任だった将”と答えたい」と述べている。これは政治でも企業経営でも同じだ。菅首相は責任ある立場にありながら、谷垣総裁に連帯責任を求めるような発言が多過ぎる。
そもそも「検察の独自の判断で船長を釈放した」という政府の説明をまともに信じている国民は極めて少ないだろう。
28日の朝日新聞は菅首相が国連総会出席前に「起訴回避をもっと早くできないのか」と早期解決を促す発言をしたことを報じている。
そして何より「谷垣総裁も、早く解放したほうがよかったのではないか」という発言だ。谷垣総裁もの「も」は「谷垣総裁も私(菅首相)と同様に」という意味であり、つまり菅首相が船長の早期釈放に強い意志を示したことを自ら認めた・・ということなのである。
船長釈放に指揮権を発動することは悪いことなのか?というところで民主党幹部はいきなりことの本質を見失ったようだ。ことは国内の犯罪ではない。極めて微妙な外交上の交渉の話なのである。このような時に政府がイニシアチブを発揮せずにいつイニシアチブを発揮するのだろうか?
だから私は政治がイニシアチブを取ったことは間違いではないと考えている。釈放が外交交渉上得策であったかどうかの批判は政府が引き受けるものなのだ。そこを逃げてはならない。そこを逃げると「誰が何の権限で始めたのか?」が曖昧なノモンハン事件などと同じことになる。
それにしても菅内閣は「直ぐにばれそうなウソ」をついてしまった。野党やマスコミが頑張れば暴けそうなウソである。そしてウソがばれた時「ウソも方便」で許すには余りに無責任な政府の姿勢を国民が許すかどうかは大きな問題である。
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