年末の新聞に渡部 昇一氏の「知的余生の方法」の広告が出ていたので、ついアマゾンで買ってしまった。「余生」というには少し早いが、余生を設計するのに早過ぎるということはない・・・というところである。
ものを考える上で一つ参考になったのは「余生を過ごす場所について」という一章である。その中で渡部氏は「老人だから、余生は静かでのんびりした場所で、というのは間違いで、年をとったからこそ、刺激のある便利なところ、というのが案外正解なのではないか。」と述べる。この説を傍証するために渡部氏は色々な例を紹介してる。渡部氏の故郷・山形の例を紹介と、年寄り夫婦でけで雪下ろし作業ができなくなったため、田舎の家を引き払い山形市のマンションに移り住む老人が多くなり、山形市のマンションは完売したという噂だ。
渡部氏は「テレビ番組や雑誌に登場する『田舎暮らし』は、ほんの一部の成功例だと考えてほぼ間違いない」と断言している。そして田舎暮らしをするより別荘を買うより、都会でエアコンをつけ、書斎を置くのが、知的な生活には必需なのだと主張する。
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この説が総ての人に当てはまるかどうかは分からない。ワイフの友人のご主人で退職後水上に居を構えて、野菜作りの精を出している人がいる。この人は東北出身で農業をやるのが夢だったので、長年強めた大手クリーニング会社をやめた後、水上に引っ越すことを決めた。我々夫婦が一度この方の家を訪ねた時は食べ切れない程の野菜を頂いたことを覚えている。
「田舎で農業をして余生を過ごす」というのも簡単ではない。何故なら夫婦二人で食べ切れない程の収穫になるが、人様に販売するには至らない・・・というのが大半の家庭菜園家の悩みではないだろうか?
その後水上のご主人は暇を持て余して、冬にはスキー場の駐車場でアルバイトをされているという話を聞いた。
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「知的余生の方法」の中の老後の交友に関する意見も興味深い。渡部氏は「年齢を経てくると、だんだん、基本的な考え方の違う人とはつきあいたくなくなる。我慢できなくなる。」という。この基本的な考え方は、基本的な思想・信条のことだ。
そして次に付き合いたくないのが「支払い能力が違う人」で、三番目が教養の差が大きい人だと渡部氏は述べる。
渡部氏の意見には反発を覚える人もいるだろうが、私は実感としてかなり共感するところが多い。
「サラリーマンは退職しても、昔の仲間と群れたがり、地域社会に融け込まない」と批判されるこことがあるが、長年一緒の職場で働いて来た仲間は「基本的な考え」が近い場合が多く、収入に関しても国や企業の年金支給額には現役時代の給与や賞与程の差がない。つまり支払能力が同レベルだから、それ程高いところに飲みに行くこともないし、かといっていきなり場末に行くこともない。
教養の差も同じサラリーマンなら似たようなものだという安心感がある。
このような職場の仲間やあるいは同じレベルの退職者が作っているサークルに入り知的な活動を続けようと思うとやはり「都会暮らし」をするという選択肢になるのだろうか?
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もっとも登山愛好家の私としては、退職後信州にでも本拠を移したいという夢がないわけではない。ただしワイフからは「私はついて行かないわよ」と言われている。もしワイフが「知的生活の方法」を読む時があると鬼の首でも取ったように言われそうだ。