昨日は尾瀬を歩き、今日は出張のついでに京都の実家に立ち寄った。尾瀬ヶ原は群馬県に位置するが、群馬県の沼田市と福島県の檜枝岐村を結ぶ街道が尾瀬沼の横を通っている。会津街道である。従って広い意味では昨日会津、今日京都である。昨日会津、今日京都といえば幕末の会津藩だ。NHKの大河ドラマ「八重の桜」では、その会津藩に官軍の総攻撃が迫っている。
明治維新のスケープゴートになった会津藩。明治維新の一つの転換点の転換点は、武力倒幕派が公義政体路線を抑えこんだ小御所会議でその武力倒幕路線を強引に進めたのが岩倉具視。いわば岩倉の陰謀が会津の悲劇の一つの原因ともいえる。
その岩倉具視が幕末に隠れ住んだ旧宅が実家の近くにあるので立ち寄った。ただし今日は休館日。
岩倉具視は維新後、世話になった村民にお礼として灌漑用の池を作る金を寄付した。岩倉の住民は岩倉具視を郷土の恩人として感謝しても良さそうなものだが、子供の頃の記憶ではそのような印象はない。権土池と呼ばれる灌漑池で泳いで溺死する人が相次いだことも影響していたのかもしれない。
だが何よりも黒幕岩倉具視の陰謀の胡散臭さが不人気の原因だろう。
それに較べて誠と義を重んじた会津藩の人々は今なお我々に凛とした生き方とあ何かということを教えてくれるのである。