本日(8月23日)「山の日」を制定するため祝日法の改正が参院本会議で可決される見通しだ。これで2年後から8月11日が山の日として国民の祝日になる。
少し前にブログで「山の日制定にはあまり賛成しない」と書いた。大きな理由は二つあった。一つは既に祝祭日は世界でトップレベルに多いのだからこれ以上増やす必要はない。有給休暇の取得率を高めることを考えるべきだというものだった。二つ目は「山の日」を定めてその日に登山者が集中すると山(自然環境)がoveruseで傷む。また混雑から登山者の事故が増えるというものだった。今一つ加えるならば8月11日は猛暑の季節である。2千メートル以上の高い山に登るのであれば問題はないが、低山を歩いていると熱中症になる危険性があるということだ。
だが「山の日」制定を推進してきた谷垣禎一氏は東大スキー山岳部の主要メンバーだったというお話なので、山のことは十分ご存知のはずである。恐らくこれらの問題点をご承知の上で休日を一日増やすことを推進されたのだと思うので、反対意見を蒸し返すことはしない。
さて今日の本題は「人はなぜ山に登るのか?」という古くから?のテーマである。「なぜ山に登るの?」「そこに山があるから」というのは私が若い頃流行っていた珍問答である。「そこに山があるから」の出どころは、第二次大戦前にエベレストの頂上近くまで登り、そこで絶命した英国の登山家マロリーのbecause it is thereという言葉である。そのitは山一般ではなく、エベレストを指した。「危険を承知でなぜエヴェレストに登るのか」という問いに対し、マロリーはそれが未踏の世界最高峰だからという意味で「そこにエヴェレストがあるから」と答えたのだ。マロリーは山全般に対して山に登る理由をそこに山があるから、と答えた訳ではない。
ではどうしてマロリーは危険なエベレスト登山に挑んだのか?
それは「コロンブスはなぜ大西洋横断の航海に乗り出したのか?」「フランシス・チチェスターはなぜジプシーモス号でヨットによる単独世一周に乗り出したのか?」と同じ類の質問である。
現在の脳科学が教えるところでは、その駆動力になっているのがドーパミンという神経伝達物質だ。ドーパミンが人の心をリスクオンにするのである。
快感をもたらすドーパミンは美味しいものを食べたときや恋愛感情でときめきを感じるときに分泌される。また目標を達成したり他人から褒められたときにも分泌され人に快感をもたらす。
ドーパミンの分泌量は人によって違うそうだ。ドーパミンが流れやすい人は新奇なものを求める傾向が強くリスク・オンタイプである。マロリーやチチェスターはこのタイプだったのだろう。
困難や苦労を克服して、山に登ろうと思う人は(程度は人それぞれだが)ドーパミンが流れやすい人と考えらえる(専門家が実証してくれると良いのだが)。
一方山を歩くと精神を安定させる脳内物質であるセロトニンの分泌が増えるということがある程度実証されているようだ。
少し前にNHKあさイチで放送した「山歩きがセロトニンの分泌につながり、セロトニンの分泌は健康面のみならず美容にも良い」という話が女性の間で話題になり、山ガールの増加につながったと聞く。
山の日制定を機に山登りをする人が増えて、多くの人がセロトニン効果で穏やかになり、柔らかな社会が形成されるなら山の日歓迎としよう。