今日(5月27日)の日経新聞朝刊の社説の一つが「既存住宅を活用する政策へかじを切れ」だった。主旨は「見直し作業が始まった住生活基本計画では、住宅政策の重点を新規物件の建設から、既存住宅の流通に移行するべきだ」というものだ。
主旨には賛成だが、本当に既存住宅の流通を目指すなら、まず言葉遣いから改める必要がある。論説のタイトルこそ「既存住宅」になっているが、本文になると「安心して中古住宅を購入できるように・・・」と「中古住宅」という言葉が使われている。
日本では「新築住宅← →中古住宅」が通念となっているので、つい中古住宅という言葉を使ってしまうのだが、「既存住宅」という言葉で押し通すべきだろう。欧米では一般的に「中古住宅」という概念・言葉はなく「既存住宅」という言い方一般的である。一番代表的な例は、米国の景気先行指標として重視されるexisting home sales「既存住宅販売」という言い方だ。
これは美術品に「中古」という概念がないのと同じと考えて良いだろう。新築住宅であろうと、既存住宅であろうと住み良いものは良いという考え方だ。もっとも戦後急速にライフスタイルが欧米化した日本では古い日本家屋は、既存住宅ではなく、中古住宅と呼ばざるを得なかったのだろうが。
しかしここ20年位の間に建築された住宅はかなり新しいライフスタイルに対応しているのでこれらは「既存住宅」と呼んで良いと私は考えている。
だがより本質的な問題は、住宅をcommodity(汎用品)化することではないか?と考えている。Commodityは、石油等の汎用商品を指す言葉で、均質な商品を意味する。米国の住宅が石油のように均質とは言わないが、売買・賃貸等の基準は築年数や床面積ではなく、ベットルームの数など部屋数である。つまりかなり標準化されているのである。
これに較べて日本の住宅はかなり個性が強い。注文住宅の場合は、施主の嗜好が強く反映され、建売住宅の場合は、建売業者の「狭い土地にいかに効率的に多くの部屋数を持つ家を作るか」という技術が詰まっているからだ。だから「既存住宅」を買う人はすぐに取り壊し、自分の嗜好にあった家を建てようと考える。
ここを変えない限り「既存住宅を活用する」ことは難しい。日本でも現存する江戸時代の武家屋敷や庄屋クラスの住宅を見ると、地域差はあるものの、昔の住居はそれなりに画一化されていたことに気がつく。武家屋敷(特に旗本屋敷)は「拝領」されたものだから、役職や知行の変更により、頻繁に住み主が変わったことを考えると当たり前の話なのだが。
ライフスタイルへのこだわりと住宅のcommodity化のバランスをとる方法が、外枠は箱型にして、内装に居住者の好みを反映させるという方法だ。概ね「スケルトン・インフィル住宅」というのが、この概念にあうのだろう。
既存住宅の活用を図っていくのであれば、「スケルトン・インフィル住宅」のような汎用性・長期利用性の高い住宅建築に税制優遇措置を与える等の大きなインセンティブを与えることが必要なのだろう。