今週(5月27日)の日経新聞朝刊に経営共創基盤CEO富山和彦氏の「大学で職業訓練せよ」という提言がでていた。主旨は大学を「大学をグローバル人材を育てる『G型』とローカル人材を育てる『L型』に分け、G型の大学は10校もあれば十分、後の大学はL型とし、職業訓練学校化すべきだ」というものだ。
富山氏の発言は一部は正論だが一部は大きなリスクを含んでいると思われる。まず「正論」の部分に私の解釈を加えよう。それは日本の大学が実学を軽視し、東大の卒業生でも簿記・会計ができないのが非常に多いという部分だ。本当に東大生の多くが簿記・会計を知らないかどうかは分らないが、東大卒の富山氏が述べているのだから、事実としておこう。つまり経済学部ではエコノミスト養成的なカリュキラムを組むが、卒業生の99%は(エコノミストにならず)普通のビジネスマンになるから、大学で学んだ経済学は全く役に立たない」という訳だ。
この現状認識は正しいと思う。ただしその認識から「だから大学では職業訓練せよ」という結論するのは、やや論理の飛躍があるとともに、今後の仕事・職業を考える時に大きな危険性をはらんでいると私は考える。
まず「危険性」の問題を論じよう。富山氏は「地域経済の中心はサービス産業で、運転士、看護師、医師など『ジョブ型』の働き方が多く、この比率が高まっている」と述べている。この認識は大枠で正しい。少なくとも今後5年から10年程度の認識としてはだ。
昨日ニュースになっていたが、DeNAがベンチャー企業と組んで「東京でオリンピックに合わせて無人タクシーを運行させたい」と発表した。私は自動車の無人運転は、実用化の時代に入っているので、5,6年後に技術的には無人タクシーの運行は可能だと考えている。飛行機や大型船舶だったかなり前から無人運行されている部分が多いことを考えると、自動車が無人運行できない訳がないと考えるのが自然だろう。
ということは、富山氏のいう「運転士」のような職業は今後大きく減る可能性がある訳だ。「医師」はどうか?「医師」についても、CT画像や症状例を大量に収集し、分析するビッグデータ解析技術が進むと、診断領域には人工知能が進出する可能性は非常に高いと思う。
「会計・簿記・税務」なども仕訳などは益々自動化されるだろう。つまり「大学で学んだ職業訓練がそれほど遠くない将来陳腐化し、経済価値を失う」可能性がかなり高いと私は考えているのである。
日経の記事には「シェークスピアよりも、実践的な英会話」というポンチ絵がついていた。確かにシェークスピアは読めても、役に立つ英会話ができないと、ビジネスパーソンとしては失格だ。少なくとも今のところは。
だが人工知能が進化すると「翻訳」「通訳」という作業も人工知能に置き換わる可能性は高いと私は考えている。いつその時代が来るかは分らないが、10年後20年後には実現する可能性はかなり高いだろう。
だが「翻訳」「通訳」が人工頭脳化しても、シェークスピアの人間に対する深い洞察を伝えることができるかどうかは疑問だ。不可能かどうかは分らないが、「翻訳」「通訳」よりははるかに時間がかかることは間違いない。
つまり「人間に対する深い洞察」や「深い洞察に基づいたコミュニケーション能力」といったものは、簡単に機械化されない分野なのである。だから大学ではそういった基礎的な知識や能力を身に着けるべきなのだ。
繰り返しになるが、富山氏が指摘するように、日本の大学がアカデミズムに偏して実学を軽視していることは大きな問題だ、と思う。
さらにいえば、日本の大学のアカデミズムそのものにも問題があると私は考えている。例えば社会科学の場合、現実の問題に具体的な解決策を提供するのが、学問の使命だという認識が欠けている点だ。そのようなアカデミズムならば学ぶ必要はない。だがアカデミズムが現実の問題に具体的な解決を提供することを使命とするのであれば、私は大学生にはアカデミズムを捨てないで欲しいと思う。