毎年11月に開催している日本相続学会の今年のテーマが「社会構造の変容と相続」(仮題)で決まった。基調講演は中央大学・寺本准教授に「世代間倫理」というお話をして頂く予定だ。
「世代間倫理」という概念は環境汚染などのマイナス財産を後世に残すことの是非といった文脈で語られることが多いと思う。寺本准教授のお話が「社会構造の変容と相続」にどうつながるのか?まだ分からないが、興味深い切り口だと思う。
大会企画者側から「家族から個へと価値観が変化する中で社会システム・家族というサブシステムと相続との関連性に着目したい」という説明があった。
専門外の分野ながら家族というシステムの変化について考えてみた。
人はなぜ家族を作るのか?それは生産効率と個体の安全性を高めるからだと私は考えている。狩猟時代に一人で獲物を追うより集団で狩りをする方が効率がよく、安全性も高かった。農耕時代に入っても一人で耕作するより家族やより大きい集団で新田開発や耕作にあたる方が効率が良かった。
老人は若者に農耕に関する経験を伝え、孫の世話をするので働き手にとって助けとなった。そこに経済面から見た家族の意味があった。
概ね戦前のイエシステムはこの延長線上にあるといえる。端的にいうとイエシステムは稲作や家内工業に適した生産システムだったといえる。
時代は工業化社会に、更に情報化社会に変わっている。そこで個人は職の機会を求めて、都会に移住するようになった。米国などでは企業は大規模なリストラを合法的に行うために、本社や生産拠点を大胆に遠隔地に移転するケースも出てきた。生産形態から見るとイエシステムはマイナス面が大きくなっているといえる。高度な資本主義社会は個人をベースにした社会であり、家族の単位も自ずと小さくなる。
ダイナミックな高度資本主義社会に対応するため、欧米諸国では「事実婚」が広がり、更には「同性婚」まで出現している。
それれらの家族形態を良しとするか否かは価値観の問題である。ただ私は価値観が家族の形を決めるのではなく、基本的には生産形態が家族の形を決めていくと考えている。そして変わっていく家族の形に合わせて社会制度を変えていくというのが、環境変化に適応する方法だと考えている。そして環境変化に適応できるっものが生き残っていくと考えている。
もっとも私の考え方は少数異見であり、イエシステム擁護者からは受け入れられないだろう。イエシステムの基本は伝統の尊重と踏襲であるからだ。だが情報化社会では異見を持つものが、時として大きなイノベーションを起こす。情報化社会に適応するには、イエシステムやその延長線上にある会社社会システムから飛び出すことが必要なのかもしれない・・・・