金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

ドコモ新料金プランは得?

2019年04月16日 | デジタル・インターネット

ドコモは昨年秋に発表していた現行より2割~4割値下げになるプランを発表した。

ドコモユーザである私のところにはメッセージで「新料金プラン登場」の案内が届いた。

それによると「最適なプランのご案内は5月22日」からで「6月1日から新プランが始まる」。

サイトに事前キャンペーンのページがあったのでとりあえず「ギガホ」「ギガライト」「ケータイプラン」のいずれかに申し込むことにしておいた(実際に申し込むと500ポイント貰えるらしい)。

私の場合あまり携帯の通信は使わないので「ギガライト」が得だと思うが、詳しい比較は5月22日以降リリースされる「料金診断サイト」を見てから決めることになる。

ところで今日はドコモ株が80円(3.5%)ほど反発している。これは一種の「噂で売って事実で買う」現象が起きているからだろう。

また携帯料金の引き下げがドコモの損益に与えるインパクトがそれほど大きくないだろうという見方も出ているようだ。

もし損益インパクトが小さいとすれば、消費者にとってはそれ程値下げ効果が期待できないということだ。

このあたりドコモ株を保有し、ドコモユーザーでもある身としては悩ましい。携帯料金値下げは月々の支払を賄う財布には優しいが、資産勘定を握る財布には厳しいからだ。もっとも当面携帯料金の値下がりを享受し、長期的には株価の回復を待つというstrategyを取る手はある。

いやstrategyというより、選択なしに暫くは携帯料金の値下げを図りながら、株価回復を期待して傍観していることになるだろうなぁ。

 

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「ファクトフルネス」を読み進む(2)~マクロな人口動態とネパールでのボランティア

2019年04月16日 | ライフプランニングファイル

「ファクトフルネス」はマクロな人口動態について目を開いてくれる。そしてそれは私が常々多少疑問を感じているネパールでのボランティア活動に何かを考え直すヒントを与えてくれる気がし始めている。

「ファクトフルネス」によると20世紀は「人類はあるバランス体系から次のバランス体系への移行時期」だった。

あるバランス体系とは1900年までの数千年の期間人類が「夫婦が6人の子供を産みその中の2人が成人した(他の4人はその前に死んだ)」体系を指し、次のバランス体系とは「夫婦が2人強の子供を産みその子供がほとんど死ぬことなく成人する」体系を指す。

1900年以前のバランス体系下で人類の総人口は15億人で安定していた。それが現在では76億人に達している。これはバランス体系の移行時期に出生率は落ちないが医療の発達などにより、幼児死亡率が低下した時期があり人口が急増したからだ。

ではこれか世界の総人口は伸び続けるか?というと発展途上国を含め全世界的に出生率が低下しているにも関わらずしばらく人口は増え続ける。だが2100年ごろには世界の総人口は100億人~120億人レベルで安定期を迎えるそうだ。

さてこのようなマクロな人口動態とネパールでのボランティア活動である。

我々のボランティア活動というのは、自力で小学校を建設できない村に校舎を寄贈することだった。活動は20数年前に始まった。数年前私が初めてボランティア活動でネパールに行った時、先輩から「村に行ったら子供たちがハダシで走り回っていまっせ(関西弁)」と言われていた。

ところが実際にネパールの村に行くとハダシで走り回っている子供はほとんどいない。皆靴かサンダルを履いている。靴やサンダルを履くことで足を傷つけることが減り、ばい菌に侵される可能性も低下しているようだ。ところが先輩の頭の中からは20数年前の超貧しかったネパールの山村のイメージが払拭されていなかったようだ。

私は現地の人に出生率について聞いてみた。すると最近では子供の数は二人位が多いという。ネパールやインドについては子供を沢山生んで農作業を手伝わせるというイメージを持っていたが、これまた今では幻想のようだと私は感じた。

ボランティア活動の中では女性陣が作った布製の手作りカバンを子供たちに無料配布するというものもある。私もカバンを持って小学校を回ったことがあるが、1,2年生の児童の間ではカバンは歓迎されたが、高学年になると敬遠された。昔は日本の布製カバンというと貴重だったかもしれないが、今では高学年になるとナイキなどのリュックサックが流行していて、手作りカバンはまったく人気がないのだ。

以上の二つのことはボランティア活動を行っている人の認識が昔の経験に留まり、現在のニーズをとらえていないことを示唆していると思われる。

詳しい調査を行っていないが、山村の学校校舎に対する需要も変化しているようだ。これは2015年のネパール大地震の後、村を捨ててカトマンズなど大都会に移住する人が増えていることや少子化で子供の数が減っていることが原因だ。

少子化は数少ない子供への教育投資の増加の増加を意味する。つまり子弟の高学歴志向により高等教育機関がもっと必要になってくる。

だがそうなると規模の小さいボランティア団体単体では支援を行うことはできない。

人口動態の変化は学校支援というボランティア活動の活動内容の変化を促す可能性がある。

もしそのような環境変化にボランティア活動が対応できずに昔のままの活動を行っているとすれば、それは与える側の自己満足に留まってしまう可能性なしともしない・・・

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「ファクトフルネス」を読み進む(1)~便りのないのは良い知らせ

2019年04月16日 | 本と雑誌

「ファクトフルネス」(Kindle英語版)を読み続けている。1/4程読み終えた。電車の中などすき間時間を利用して読んでいるので余り早いペースではない。読みやすく含蓄に富んだ本なので慌てて読むよりは色々なことを考えながら読む方が良いだろう。

ところで何故読みやすい本なのか?ということを考えてみた。

第一に英語が平易なことだ。平易という意味は余り難しい単語が使われていないということだ。英語の文章では「同じ単語を繰り返して使うより同義語に置き換える」方が高級な文章だと一般的に考えられている。だがこれに我々は苦しむことが多い。一つは同義語間に微妙なニュアンスの違いがあるのかどうか気になる点だ。実はこれは違いがないと断言して良いだろう。次に同義語の中には日ごろ私が見かけない難しい単語が出てくることだ。これが英語本を難しくしている原因だ。

だが本書の場合は平易な単語が繰り返し使われている。おそらく著者が非英語圏の読者にも読みやすいように配慮したのだろう。勝手な推測に過ぎないが。

第二に著者の考え方と私の考え方が概ね一致していることである。その代表的な例は著者が「自分は楽観主義者ではない。自分はpossibilistだ」という点だ。

Possibilistという言葉はPossible(可能な)という言葉から来ている。「可能論者」という言葉が一般に使われているかどうか知らないがあえて訳するとそうなるだろう。だがむしろ本書に文脈の中で理解する必要がある。

「世界は確実に良くなっている」ことを色々な統計に基づいて確信している著者は「自分は根拠なく希望を持つものでも根拠なく恐れを抱くものではない。世界は確実に良くなっている~例えば女子児童の就学率は確実に向上している~と確信し、その方向に向けて努力するものだ」という文脈の中でPossibilistという言葉を理解するべきだろう。

著者は「マスコミやアクティビストは悪いニュースを報道するけれど、良いニュースは余り報じない。世界は漸進的な改善により少しづづ良くなっている。だがこの漸進的改善はニュースにならない」と述べる。

日本の諺でいうと「便りのないのは良い知らせ」というところだろう。

マーケットを見ていても相場はSurprise(想定外のニュース)で動くことが多い。もっともSurpriseは悪いニュースNegative Surpriseだけでなく想定外の良いニュースPositive Surpriseでも動く。

しかし会社の利益が証券化された株式というものを考えると多くの会社にそれほどSurpriseがあるとは思わない。多くの会社は漸進的な努力で企業業績を伸ばしているのではないだろうか?

もっともIT分野なので場外ホームラン級のSurpriseを起こす会社もあるがそのような会社の株を揺籃期に買うことは難しいだろう。

つまり本質的に株式投資とは地味で退屈なもので、一攫千金を狙う投機とは本質的に違うものなのだ。

話が本筋から外れてしまったが、著者の世界は確実に良くなっている。数十年前には貧困国だった多くの国も中進国レベルに進みつつあるという見方は多くの示唆を含んでいる。投資の観点からいうと、長期の投資が可能な若い人はエマージング市場に投資するべきだという結論を引き出すことが可能だろう。もっとも著者はそんなことは一言も言っていないが。

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