日経新聞をネット購読しているので、時々色々な記事の案内がメールで届く。
今日届いたのはマネー研究所の「老後資金、細く長く使い続けるための処方箋」という記事(著者はファイナンシャルプランナーの風呂内亜矢さん)。
処方箋の骨子は「少しでも長く働く」「生活費を抑える」「貯蓄を取り崩すタイミングを計画する」というごく当たり前のものだ。いわば健康のためには適度な運動が良いというアドバイスのようなものである。
恐ら健康と運動に関するく多くの人の悩みは「健康のために運動が良いことは分かっているが長続きしない」というものではないだろうか?このことはスポーツクラブの会員のターンオーバーが非常に多いことからも推測される。
運動に関する処方箋は「どうすれば長続きする運動を行えるか?」ということが本筋であり、老後資金に関する処方箋の本筋は「どうすれば長く働くことができるか?」と「老後資金の貯蓄をどう考えるか?」という点にある。ただしこれらの点について万人向けの処方箋は実は役に立たない。
何故ならシニアライフは現役時代よりもはるかに多様だからだ。どうのように多様か?ということを少し考えてみよう。
まず健康状態が違う。働き盛りの頃は少数の例外を除いて皆それぞれ元気であまり体の不調を感じることは少ないだろう。だが年とともにそれぞれの持病のようなものが顕在化してくる。持病の内ある部分は遺伝的なものであり、恐らく個人の努力で避けることができないと私は考えている。
次に人生の目標や価値観が違う。
シニアになって働き続けるということについていうと、スキルや人脈が違う。スキルというとパソコン・語学・専門分野における特殊技能が頭に浮かぶと思うが私は一番大事なものは、コミュニケーションスキルのようなヒューマンスキルではないか?と考えている。平たくいうと新しい職場などで誰とでも付き合っていけるという気安さのようなものが長く働く上でのポイントになるだろうと私は考えている。
貯蓄を取り崩すタイミングについては、サラリーマンの場合を退職金を一時金で受け取るか?年金で受け取るか?という分岐点における選択が大きい(選択制度がある場合の話だが)。
また子どもと同居するかしないかなどという家族構成の問題や持ち家の築年数、終の棲家に対する思い入れなどによっても変わってくる。
また資産運用力の違いも大きい。
サラリーマン時代というのは、かなりの人のベクトルが同じ方向を向ていただろう。無論極端な会社人間や趣味人間もいたと思うが、概ね会社・家族・趣味などのバランスにおいてそれぞれの会社や組織には共通するフレームワークがあったはずだ。共通のフレームワークがあるから組織は回っていったのだ。
だがシニアになるとそのようなフレームワークはない。フレームワークとまり人生の目標や価値観は自分で見出していかなければならないのだ。
しっかりしたフレームワークなしに老後資金を細く長く使うことを第一の目標にすることについて私は「馬の前に馬車をつなぐ」ような違和感を感じる。
無論目標や価値観は資金的な裏付けなしに実現できるものではない。夢は資金と健康という現実に拘束されているのだ。その制約要因を考慮しながら、自分の価値観を大事にして、価値観から外れるものを切り捨てていくというのがあるべき姿ではないだろうか?
以上のように考えてくるとライフプランは自分自身で作成するしかないのである。
この問題について私は以前電子本(アマゾン)で「インフレ時代の人生設計術~自立する人生の持続のために」という本を出版した。
本を書いた時はアベノミクスがスタートした時で物価上昇の兆しがあった。物価が上昇する中で年金の給付額がマクロ経済スライド制により抑制されることにシニア世代はどう対応するべきか?ということが大きな論点だが、その手法として自分でかなり細かい生涯収支予想を作成する具体的手法について論究した。
ただしその後日本ではインフレの兆しは消えたので全くアピール力のないタイトルになってしまったが(笑)。