この前私のブログに「毒餃子は日本の農業政策の失敗を暴露した」というコメントを頂いた。そのとおりであり、工業化に傾斜し過ぎた結果日本は国の根幹に係わる農業の問題をおろそかにしてきた。農業政策の誤りは戦後の話ではなく、戦前昭和8年の米穀統制法を施行し米の値段を市場価格に任せることなく、国がコントロールしようと考えた頃から始まっていると思われる。第二次世界大戦前日本は資源を軍事優先で配分した。より正確にいうと物資を直接的な攻撃兵器の作成に割り当てた。だが戦争は大砲や航空機の機銃の数の多少で勝負が決まるものではない。すでに歴史が明らかにしているように、レーダー網や通信施設の差を含む広範な国力の差が勝敗を決めたのである。しかし悲しいことに日本は敗戦の原因から学ぶところが少なく、戦後も資源の極端な傾斜配分を行うのである。
農業問題はこの流れで考えるのが良いと思われる。戦後の高度成長期において日本は食料を海外の輸入に頼ることで、農村の労働力を輸出産業に振り向け重化学工業や機械工業の発展を遂げてきたのである。
また少子化政策も高度成長に必要な政策であった。子供の数が多いと教育費にお金がかかり、産業育成への投資が抑制される。そこで日本は少子化政策を取り、資本と人的資源の総てを産業育成にささげてきた。
ところが世の中は「禍福はあざなえる縄の如し」というように、過日の成功要因は将来の重荷になるのである。少子化は人口減少とという形で日本の将来に重くのしかかり、疲弊した農業は「食の安全」と更には「食料の安定確保の懸念」という形で我々の上に暗い影を投げそうである。つけは回ってくるという覚悟をせざるをえないだろう。