金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

新銀行は止めるにしかず

2008年02月29日 | 政治

新聞によれば26日の都議会で石原知事が新銀行東京の経営が悪化したことについて自身の責任を初めて認めた。ただし清算などの処理は行わず、あくまで経営の建て直しに全力を挙げると強調したそうだ。折角自らの非を認めたのであれば一都民の立場としてあるいは多少金融を知る者としては早期に全面撤退して欲しいと思う。新銀行東京が営業を続けることは、歴史に例をとれば、敗戦が決まった太平洋戦争において、絶海の孤島で玉砕するようなものである。

私はこのことを政治的な立場や「地方公共団体である都が銀行に出資するべきではない」といった観念論で述べているのではない。金融マンとして「日本の大手銀行や新しいタイプの銀行(新銀行東京など)に中小企業融資を行うノウハウやコミットメント(覚悟)はないからやめなさい」と言っているのだ。なお中小企業融資で失敗して大きな損失を出しているのは、東京都が出資する新銀行東京だけではない。幾つかの大手行が華々しく中小企業向け融資拡大を打ち出したが、今や大きな損失を出して撤退している。中小企業融資で失敗したのは新銀行東京だけではないのだ~もちろん自己資本に対する損失の割合などから同一に論じることも乱暴なのだが~。

私が問題にしたいことは「何故大手行や新しいタイプの銀行は中小企業融資で失敗するのか?」ということだ。これらの銀行は米国における銀行の中小企業融資が収益源になっていることを真似て、この業務に乗り出した可能性が高い。米国の中小企業融資手法は大別すると大手銀行によるスコアリング・システムと中小銀行によるリレーションバンキング手法がある。前者は財務データの分析による定量的判断、後者は経営者の資質等を与信判断に加える定性的判断を与信のよりどころとする。ここまでは米銀もそれを真似した邦銀も変わりはない。問題は実際の運用にある。まずリレーションバンキングについて米国と日本の最大の違いは何か?というと米国の小企業は「ほとんど一金融機関とのみ取引を行う」という点である。つまり金融機関側から見るとその企業の金の流れが預金取引を通じて総て見える、売上の状況などが金融機関に丸分かりだ。そういう一銀行との長い付き合いの中から金融機関と企業の信頼が生まれ、クレジット・スコアリングで低い点数しか得られない先でも与信を受けられるというのが、米国のリレーション・バンキングである。

次に一般的な米銀の中小企業融資の判断基準は日本に比べてはるかに厳しいということを述べておこう。手許に明確な資料がないが、例えば小企業の場合、自己資本比率が5割近くないと融資を受けることは困難な場合が多いと考えて良いだろう。又米国の銀行には日本でいうところの短期コロガリ(短期の底積み運転資金)という考え方は原則ない。コロガリ続けるような短期資金は、借入人が返済できない資金と考えられ問題債権に分類される可能性が高いからだ。

米国の中小企業は自分や仲間で出資するかスポンサーを見つけて出資して貰うなどかなりのエクイティを持ってスタートしないと全く銀行融資を受けることができない。企業規模が小さくなればなる程自己資本比率が高くなるのが米国の企業だと理解して間違いはないだろう。ところが日本は逆なのだ。日本では小さい企業程自己資本比率は低いだろう。従って日本の銀行が中小企業融資を行うことは米国の銀行が米国で中小企業融資を行うことよりもはるかにリスクが高いのである。

日本でも大手行はスコアリング・モデルを使って中小企業融資に乗り出したが、スコアリング・モデルというものは財務比率と過去のデフォルト率の相関関係を長期間にわたって回帰分析しながら作り上げていくものである。しかし過去のデフォルト情報がデータとして完備していない日本で統計的手法である精度の高いスコアリング・モデルを作ることはもとより無理な話である。

ということは日本ではリレーションバンキング的手法を使わない中小企業融資は危険なディール以外の何者でもないということになる。

ところが石原知事は450名程の新銀行東京の職員を150名に削減して頑張るという。しかしこれは大問題である。人手のかかる中小企業取引を人数を減らして行うということはきわめて危険であり、追加する資本を毀損する可能性が高過ぎるだろう。

大手銀行でも失敗する中小企業融資を新銀行東京が極めて少ない人数と無に等しい過去の取引データをもとに行うことは暴虎馮河以外のなにものでもない。

コメント (1)
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