金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

延命治療、道元禅師ならどう考えられたか?

2010年03月16日 | 健康・病気

「延命治療」などという重たいテーマは苦手なのだが、昨日日経新聞が特集していた「医療・介護改革 本社提言」を読んでいて思うところがあったので述べてみたい。

「本社提言」によると「治る見込みがなく、死期が迫っている場合の延命治療について、中止に肯定的な答えが一般で7割、医療関係者では8割を超えた」

また「北欧では食事介護はするが、老衰の人に特に理由がない限り管を通した栄養補給はしない」と外国の例を示し、「延命治療について国民の関心を高め、政治家が超党派で議論を深めるべきだ」と結んでいる。

議論を深めて貰うことは大いに結構だが、私はその前提となる個人の死生観をまず見つめて欲しいと思っている。

最近読んだ「座禅ひとすじ」(角田泰隆著 角川ソフィア文庫)に教えられるところがあったので紹介したい。この本は日本の曹洞宗を築いた道元禅師達の業績を述べたものだが、平明な文章で道元禅師の思想が紹介されているので読みやすい。

54歳でこの世を去る道元禅師は前年から病が重くなっていた。この本には病名は書いていないが、別の資料によると死因は「瘍」ということだ。

「座禅ひとすじ」は愛弟子の義介を呼び寄せて語る道元禅師の言葉を紹介している。「今生(こんじょう)の寿命は、この病気できっと最期(さいご)だと思う。だいたい人の寿命には必ず限りがある。しかし、限りがあるといっても病気のままに、なにもせずに放っておくべきではない。だから、おまえも知っているように、私も随分、人に助けてもらい、あれこれ医療を加えてもらった。それにもかかわらず全く平癒しない。これもまた寿命であるから驚いてはいけない」

1253年8月15日中秋の夜。道元禅師は「また見んと おもいしときの 秋だにも 今宵の月に ねられやはする」との辞世の歌を残しこの世を去る。

「座禅ひとすじ」は「生死即涅槃。人間の生死(輪廻)は、そのまま仏の御いのちであり、もし生死を嫌うならば仏のいのちを失うことになる。また生死に執着するならば、これもまた仏のいのちを失うことになる。生死を嫌わず、涅槃(生死輪廻から脱することを)を願わず。この時はじめて真に生死を離れることができるのだ。」と解説する。

この文章は平明だが本当に理解することは簡単ではなさそうだ。むしろ道元禅師の義介に与えた言葉をそのまま受け止める方が理解しやすい。

当時としてできる限りの医療を受け(つまり一生懸命生きる努力をする)、それでも治らないと知った時はこれを寿命として受け止める(生死に執着しない)。

もし今日、道元禅師が死期を迎えられたと想像すると、禅師は延命治療をどう判断されただろうか?恐らくは不必要なまでの生への執着として拒絶されたであろうと私は考えている。

延命治療の問題とは、寿命とは何かという問題であり、それは医学的な問題というより、人の命とは何かという問題を、輪廻の中でとらえるという哲学的な作業を下敷きにしないといけない問題だと私は感じている。

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「人民元問題、平静を保つべし」とエコノミスト誌主張

2010年03月16日 | 国際・政治

昨日(3月15日)のFTによると、米国で130名の国会議員がガイトナー財務長官とゲイリー・ロック商務長官に「来月の為替政策報告書で中国を外為操作国に指定するべし」という文書を送った。「これはかって見たこともないほどの国会議員の超党派的意気込みだ」とある議員は述べている。

この米国議会の意気込みに冷やし玉を入れているのが、エコノミスト誌のYuan to stay coolという論説だ。エコノミスト誌は「元高を促進するため、米国の政治家ができる最良のことは、冷静さを保つことだ」と主張する。

主旨は次のとおりだ。

  • 人民元のドル・ペグを速やかに終わらせることは、中国とともに全世界にとって経済的に意味がある。より強くてフレキシブルな通貨により中国はインフレと資産バブルをコントロールすることがより容易になるだろう。元高は中国の消費者の購買力を高め、内需を拡大し産業界の過大投資を抑制するだろう。その結果中国経済は輸出依存から内需依存へバランスを修正することになるだろう。
  • だがこれは中国にとってもそれ以外の国にとっても特効薬ではない。中国のリバランスには、強い通貨とともに税制から企業統治に至るまでの大きな構造変革が必要だ。強い元はたちどころに米国に数百万人の職を復活させるものではないだろう。米国は中国から輸入しているものをもはや国内生産はしていないので、元高は最初は消費者に対する税金のように作用するだろう。

エコノミスト誌は「9.7%という高い失業率が続く中で、中間選挙を迎える米国ではチャイナ・バッシングの声が起きている」と指摘する。しかし議会の動きはプラスの効果は生まないだろうと予想し、「米国は二国間でゴタゴタを起こすより、G20で他の大国にも中国に人民元高を要求するように同調を求めることがより良い結果を生むだろう」と結論つけている。

選挙が近づくと、選挙民に受けの良いアピールを行うことはどの民主主義国家も同じこと。ついこの前までは、大恐慌の崖っぷちにいたので、中国に景気回復の先導者になってもらうことを期待してチャイナ・バッシング論は影を潜めていた。しかし米国の景気回復が鮮明になるにつれ、バッシング論が再び勢いを盛り返してきた。

うがった見方をすると、それだけ経済の先行きにユトリが出てきたということだろうか?

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コートを脱ぐ日

2010年03月16日 | うんちく・小ネタ

冬が近づくとコートを着て、春になるとコートを脱ぐ。毎年毎年この繰り返しだが、意外に何時からコートを脱いだのか?は記憶していない。

今年は昨日(3月15日)からコートを脱いだ。15日というのは月の真ん中なので覚えやすいだろう。来年の今頃覚えているかどうか記憶力テストのようなものだ。

ところで春は突然やってくる。先週まで寒い日が続いたが、今日から朝の暖房も切っている。もっとも今書斎でパソコンに向かっているが少しひんやりとしている。

山口瞳氏の「男性自身」の中に「いっぺんに春」というエッセーがある。その中で山口さんは「そうして、しかし、春は、突然に、一度に押しよせるようにやってくるのである」

残念ながら昨日も今日も曇りで押しよせるほどの春の実感は乏しい。しかしコートを脱ぎ、暖房を切るともう春である。週半ばには日差しが戻り、春は一度に押しよせるだろう。

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