昨今のマーケットを見ていると振幅が激しい。より正確にいうと良いニュースへの反応は小さく悪いニュースへの反応は非常に大きい。何故こういう状態が続くのかをいうことを暫く考えていた。「悪いニュースへの過敏な反応は弱気相場の典型だ」といってしまえばそれまでだが、投資家特に短期的な利益を狙う投資家が景気の回復を先取りしようとして、ポジションを作り、その期待が裏切られそうになると慌ててポジションの解消するため振幅が大きくなっているのだろうと私は解釈している。一部の投資家は経済の特効薬を求め過ぎている。
この他にも幾つかの原因が考えられる。その一つは世の中で「信頼できるもの」が少なくなったことがあげられるだろう。例えば少し前まで「ビッグスリー」という言葉があった。ビッグスリーでまず思い出すのはアメリカの三大自動車メーカーだが、これは金融危機と前後して消滅した。また格付機関にもムーディーズ、S&Pそしてかなり小さいがフィッチという3大格付機関が存在する。こちらは存続しているが人々の信頼は相当薄くなったのではないだろうか?
産業界においても絶対的な強者というものは少なくなってきた。IT業界を例に取ると業界の巨人と呼ばれたマイクロソフトは時価総額でアップルに凌駕され、OSのデファクトスタンダードだったウインドウズにもマックのOSやリナックスあるいはアンドロイドのようなライバルが登場している。
政治の世界でも人々の信頼は揺らいでいる。先進国の政権与党は概ね支持率の低下に悩んでいる。支持率の回復を狙って人気取り的な政策を遂行してきたが今そのツケを払う局面を迎えている。
例えばリーマンショック後先進国も中国など発展途上国も財政支出を拡大して景気刺激策に走った。だが「ない袖」は何時までも振れるものではない。ギリシアなど財政基盤と資金調達基盤の弱い国を中心にソブリン債務の問題が表面化し、二番底のリスクさえささやかれ始めている。これに対しドイツは緊縮財政に舵を切り始めた。
このような状況を見て「短期的な景気刺激策も緊縮財政策もどちらも間違いなのだ」と警告を発している学者のエッセーを読み、私はかなり共感するところがあったので少しその話をしてみたい。
著者はコロンビア大学のJeffrey Sachs氏でファイナンシャル・タイムズにTime to plan for post-Keynesian eraという投稿をしている。
その中の印象に残る部分を紹介しよう。「政府は経済政策で短期的に質の高い仕事を創出することはほとんどできないことを説明するべきだし国民はそのことを学ぶべきである」「良い仕事は良い教育、先端的な技術、信頼できるインフラと適切な民間資本投資の結果である。それは長年にわたる政府と民間の投資の結果なのである」「経済再生の合言葉は景気刺激よりも投資でなくてはならない」
このエッセーで「対症療法」とか「原因療法」という言葉は使われていないが、私には二つの治療方法がアナロジーとして浮かんだ。対症療法とは例えば血圧の高い人に降圧剤を処方するような治療方法で、原因療法とは高血圧の原因になっている食事の問題や運動不足などから改善を図る治療方法だ。
ところが現在の日本では原因療法を真面目に指導してくれる医者は少ない。何故なら原因療法は時間がかかる上お金になりにくいからである。
このアナロジーを経済問題に適応してみよう。緩い規制とリスクへの慢心あるいは財政赤字による社会保障などは、謂わば運動不足と暴飲暴食で肥満になり高脂血症などになった状態だ。これに対する対症療法は「財政赤字拡大覚悟の景気刺激策」だが、この刺激策はどうも高脂血症の対症療法(例えばメバロチンの服用)よりも副作用が激烈だ。
そこでこんどは過激なダイエット療法を取ることにした。これはドイツ流の緊縮財政政策。ところが体力のある人にとって適度なダイエット療法は有効だが、下手をすると自分の筋肉まで消費し体を壊してしまうリスクがある。つまり適度な運動と漸進的な食事療法を行わないといけないのだ。
私にはSachs氏は「筋肉強化を伴う適度な食事療法を薦めている」と思われる。これはまさに正論なのだが、問題は原因療法が日本の医者にとってお金にならないように、経済の原因療法は政治家にとって票にならないのではないかという点だ。
だが今政治家や識者と呼ばれる人は原因療法の必要性を説く必要があるだろう。対症療法だけを続けると体は常により強い薬を求めるようになるそうだ。そしてより強い薬はより強い副作用で体を蝕むからである。