少し前にこのブログでAusterity(倹約・緊縮財政)という言葉が欧州の政治・経済の世界で流行しているということを書いた。この倹約という言葉は倹約と一番縁遠いと思われていた情報産業の世界にも広がりつつあるらしい。
エコノミスト誌はIn praise of techno-austerity(情報産業の倹約を賞賛)というタイトルでこの潮流に言及していた。
倹約というと身を縮める印象が強いがLess is more(「質素な方が気持ちが良い」「過ぎたるは及ばざるがごとし」)というともっとポジティブな響きを持つ。
エコノミスト誌の記事はこの背景として二つのことに言及している。一つはコンピュータのユーザが過剰なソフトウエアに煩わされて、ワードで文章を作るなどという本来の作業の効率が低下しているというような現象がある。もう一つは発展途上国で機能を絞り込んだネットブックのようなコンピュータが流行しそれが先進国でも普及し始めているハード面の現象だ。
1年ほど前私はある雑誌に「オーバースペック時代の終焉」という記事を書いた。オーバースペック=過剰仕様という言葉は和製英語なのだが、このような言葉ができることは日本の家電・自動車・カメラ・パソコン・携帯電話など工業製品が過剰仕様の塊であることの証拠だ。
また以前はパソコンの上でも特定目的のアプリケーションが氾濫していた。例えば年賀状作成ソフトもその例。私も昔買って今も年に一度お世話になるので悪口はいえないけれど、実はワードとエクセルがあれば不要なソフトである。つまりエクセルで住所録を作り、ワードの差込印刷機能を使えば簡単に年賀状の宛名印刷ができるからだ。また干支の図柄などもフリーであるいは僅かなコストで気の利いたものを入手することができる。
今後はこのような単一目的のソフトは廃れるのだろう。
エコノミスト誌の記事はFrugality is the mother of inventionと結んでいた。「倹約は発明の母」という意味である。これから暫くの間、国も企業も倹約の中に活路とビジネスチャンスを見いだす必要があるだろう。そして個人はその中に楽しみを見いだす必要がある。