金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【台北旅行④】鼎泰豊の小籠包と回留の野菜パエリア

2011年04月12日 | 旅行記

今回の台北旅行で僕らが泊まったホテル・金来商旅Royal Biz Taipeiは、有名な繁華街・永康街から歩いて5分程のところにあった。勢い夕食は永康街の店に出かけることが多かった。

4月8日金曜日、到着した日の夜出かけたのが小籠包で有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)。日本でも有名な店だ。ホームページ(日本語版もある)で見ると博多にも支店をオープンしたとある。http://www.dintaifung.com.tw/jp/about_a.asp

この鼎泰豊、夜は行列ができるというのでホテルでチェックインした後、フロントから電話で予約して貰った。非英語圏を旅行している時、レストランを予約する場合、僕はホテルのコンシェルジュに美味しいレストランを教えて貰い、ついでに予約をお願いすることが多い。さてホテルでつないで貰った電話の向こうからは「おまなえは?」という日本語が聞こえてきたので「お名前は〇〇です」と返事をする。多少怪しいとはいえ日本語が通じることは旅の始まりとしてはありがたい。

予約した鼎泰豊に7時に行くと店の前には行列が出来ていたが、直ぐに2階に通してくれた。名物の小籠包と前菜その他を食べたがやはり印象に残るのは小籠包。生姜の入った小皿に醤油1:酢3を入れ、それをレンゲに入れその上の小籠包を乗せて食べる。口の中に広がる熱いスープが美味だ。なお鼎泰豊の支払はキャッシュオンリーだった。写真は僕達が食べた小籠包。

翌日4月9日の夕食に出かけたのは、同じ永康街の中の回留(ホェリョウ)だった。この店は鼎泰豊の角を100m程入ったところ永康公園の奥にある。茶芸館+陶器(オーナー手作り)屋という感じの店だ。何故この店に出かけたか?というと、台北に来て二日目で早くも膨満感を感じたからだ。出発前から鼻風邪気味で体調が今ひとつすぐれずコッテリした中華料理に余り魅力を感じないので、オーガニック料理を看板とする回留に足を運んだ次第。ここでワイフともども「野菜パエリア」を頼んだ。日本でパエリアというと炒めたご飯の上に魚介類を炊き込んで作るものが一般的だが、ここのパエリアは魚介類が総て筍などの野菜である。これにサラダとデザート・中国茶がついて一人480元(1,500円弱)だった。

中華料理の殿堂のような街で、低カロリーな精進料理の回留がそこそこ流行っている(行列ができる程ではない)ということは、中華料理の食べ過ぎで胃腸を休めたいと思う人がいるからなのだろう。

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【台北旅行③】淡水・二つのレンガ館を楽しむ

2011年04月12日 | 旅行記

4月10日日曜日。午前11時過ぎに(淡水の)左岸公園でサイクリングを終えた終えた僕達は、フェリーで対岸の淡水へ向かうことにした。

なお左岸公園から少し右(淡水河に向かって)に行った八里埠頭の方が船便は多いような気がした。

10分ほどで淡水に着くと人の多さに圧倒される。地下鉄淡水線の終点のこの駅が観光スポットであることは、ガイドブックで知っていたが人の多さと屋台の多さにはタダタダ圧倒されるばかりだ。さて昼時。船上でワイフと「ムール貝を食べよう」とガイドブックの中のあるレストランを探して、河岸沿いの食堂街を歩いてみたが見つけることが出来ずに(実は引き返したところの少し先にあったことが後で分かった)、セカンドチョイスの紅樓餐廳に行くことにした。

ここは石段を100段ほど登った高台の上にある創作中華レストランだ。正確にいうと1階が中華レストラン、2階が宴会場、3階がカフェである。写真は1階の中華レストランから庭を見たもの。

(テラス席のメニューは見なかった)

この建物は100年位前の建造物で、最初は「達観楼」と呼ばれていたが後に「紅楼」と呼ばれるようになった。

入った時は誰もいないので「高過ぎて客がいないのじゃないか」「不味過ぎて客がいないのじゃないか」とちょっと心配になったが、やがて1組2組とお客が入りだしたので少し安心した。ワイフと二人で「生野菜のサーモン巻き」「白菜の干しえび炒め」「白身魚の蒸し物」を一皿づつ注文し、油かけご飯を各自1つ頼んだ。

味はいずれも淡白。油かけご飯も油くささは全くなく美味だったが、これで量は結構ある。ご飯も二人で一つでよさそうだった。

昼食の後はブラブラと紅毛城へ歩いた。

紅毛城は17世紀初期にスペイン人が建設し、後にオランダ人が再建した城砦である。1867年に英国が租借し領事館を置いた。今残るレンガ造りの建物はその領事館である。

拝観料が無料というのが良い。ついでにいうと台北の観光施設は押しなべて入場料が安いか無料である。駆け足で見ても半日かかる故宮博物館の入館料が160元(約500円)というのもありがたい。

レンガ造りの元領事館とモルタル赤壁の資料展示館(今後修復する予定)の間には古い大砲が展示してある。砲口の先には淡水河の穏やかな水面を見ることができる。

元領事館のダイニングテーブルは100年前を再現したものだろうか?もしそうだとすると英国の食卓風景は100年間ほとんど変わっていないようだ。この間日本や台湾では大変な変化が続いてきたのだが。

人混みの中を淡水に戻った僕達は近くの有名な温泉地・北投へ向かうことにした。その話は次のブログで。

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【台北旅行②】左岸八里サイクリング行

2011年04月12日 | 旅行記

4月10日日曜日晴。台北3日目、この日は淡水方面を散策する予定だ。最初に淡水の左岸で貸し自転車に乗り、その後船で淡水に渡るという計画だ。まずホテルから15分弱歩いてMRTの忠孝新生駅に向かった。ここで地下鉄一日乗り放題の「一日票」を「One day pass」と言って購入した。一日票は150元だが、50元のdepositをが必要で最初に200元を支払った。この日は何回かMRTに乗る予定なので、一日票を購入したが、複数日に渡ってMRTやバスを乗り回す予定であれば、「悠遊カード」Easy cardを購入する手があった。大雑把に1元3円で換算すれば100円か200円程度の違いなのだろうが。

忠孝新生駅からは蘆洲線に乗り、民権西路駅で淡水線に乗換え関渡駅に向かった。関渡駅からバスで左岸公園を目指す。バスの番号はインターネットやパンフレットなど情報源毎に異なったので、バス停で自分の目で確かめるのが一番だろう。休日は20分に1本程度の間隔でバスは来る。

ところがバスに乗るところで問題発生。僕は「一日票」がバスもカバーするものだと勘違いし、Suicaのようにかざしてバスに乗り込んだ。ところが運転手は「料金不足」(のようなこと)言う。「困ったなぁ」と思った時後ろの日本語が分かる若い男性がワイフと二人分の料金30元をサッと投入して呉れたので助かった(もちろん30元はすぐ返した)。

バスという乗り物は言葉ができない外国人には手強い乗り物だ。いや外国でなくても地理に不案内な国内の町でもバスは苦手だ。バスは地理に不案内な人間を想定していない乗り物だからだ。

さて乗り込んだバスだけれど「左岸海岸」や「八里公園」といった観光地を目指す人の姿は見当たらず、オジチャン、オバチャンらが日常の足として使っている感じで「左岸海岸」のバス亭で降りられるかどうか心配になり、ずっと道路標識などをにらんでいた。ワイフが目敏く「左岸海岸」の看板を見つけ無事下車。乗車時間は約20分だった。

下車すると貸し自転車屋のお兄さんが中国語でまくし立てながらやってくる。「自転車借りるならここだよ」などと叫んでいるようだが、これは民間の貸し自転車屋だ。

昔東松山の森林公園で自転車を借りた経験から判断すると、民間の貸し自転車屋より公営の貸し自転車の方が良い(値段は安く、自転車の質も高い)のでここは断り、公営(らしき)の貸自転車屋を探すと埠頭の少し南側にそれらしき看板があった。(公営?貸し自転車屋は写真の建物の南側にある)

貸自転車屋のお兄さんは英語・日本語とも達者でなく、当方も英語はおぼつかなく中国語は全く駄目という状態だが話は通じ、僕もワイフも「淑女車」と呼ばれるママチャリを借りた。貸出する自転車の種類は数種類ありスポーツタイプ(クロスバイクなどか?)の多段変速車となるとかなり高い。

僕の中には「自転車王国の台湾まで来たのだから、クロスバイクでも借りて軽快に飛ばそう」という気持ちもあったが、ワイフと一緒なのでママチャリにする。ママチャリは1時間25元(約75円)と大変安い。なお自転車を借りるにはパスポートを預ける必要がある。

借りた自転車で淡水河畔の自転車専用道路を北上し「十三行博物館」を目指した。淡水河の川幅は広く湿気が高いので、対岸の淡水方面はかすんでいる。

左岸公園は自転車道・遊歩道が完備してカップル・家族連れ・グループで遊びに来ている人が多い。時々4人乗りの自転車を眼にすることもあった。ただしそれ程スピードを出している人はいないようだ。日本でいえば多摩川をバンバン走るようなシリアスなサイクリストはどこを走っているのだろうか?

「十三行博物館」に行ったものの、自転車置き場がはっきりししない上貸自転車に鍵がないので博物館へ入るのは止め左岸海岸に戻った。今度は反対側つまり河岸の自転車道路を南に向かうが、直ぐに「左岸八里波止場」の屋台街に出くわす。人が自転車道の上にも溢れている(自転車専用道はどこに行ったのか?)ので、暫く自転車から降りて押して歩いたが、その内自転車熱が冷めて引き返すことにした。

時計を見ると今返すと1時間で済むので自転車を返すことにした。少し物足りなかったが「淡水でサイクリングを経験する」という目的は果たすことができたので、今回はここで切り上げ。二人で50元のレンタル料を払い僕らはフェリー乗り場に向かった。以下は次のブログで。

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【台北旅行①】総統府見学

2011年04月12日 | 旅行記

4月8日金曜日から11日月曜日まで4日間、ワイフと台北に旅行した。旅行記は普通時の流れにそって書くものだけれど、今回は反対に手前から遡ることにした。

4月11日午後5時半過ぎ、羽田空港に到着して、荷物の到着を待っていると、ワイフに携帯に娘達から「地震、大丈夫?」というメールが入った。何のことか直ぐには分からなかったが、回りの様子を見ていると、飛行機の到着直前(後で分かったが5時17分頃、福島県で)強い地震があったことが分かってきた。旅行の夢から醒めて再び厳しい現実に戻ってきた気持ちになった。

この地震の話と総統府の話がどこで結びつくか?というと、この日の朝見学した総統府の建物が「耐震設計」されているという説明を聞いたことを思い出したからだ。台湾も地震の多い国である。近いところでは、1999年9月21日に台湾中部の南投県でマグニチュード7.6の地震が起き2千4百名を超す死者が出ている。

下の写真は総統府を正門から見たものだが、1919年に「台湾総督府」として建てられて90年今なお現役として活躍している建物だ。

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朝8時半前に泊まっているホテル「金来商旅」から右に出て、仁愛路二段を西に歩いていく。やがて右手に台湾大学・医学部の建物を迎えると道の突き当たりに総統府の建物が見えてくる。ホテルから総統府までは徒歩で約30分の距離だ。

総統府は平日午前9時から正午まで「一般見学」が可能だ(見学口は裏側、無料・ただしパスポートが必要)。

日本語の堪能な年配のボランティアのおじいさんが約1時間近代台湾の成り立ちや総統府の歴史を解説してくれた。台北では最も見学しておきたい場所の一つだ。

地震との関係でいうと関東大震災の後、内務大臣兼帝都復興院総裁として、腕をふるった後藤新平は、第四代台湾総督児玉源太郎の下で民生長官として台湾の近代化に努めた。

過去の諸施策の可否をどの程度個人の能力に帰属させるべきかは、難しい課題だろうが、児玉源太郎や後藤新平のことを思うと個人の力は大きいと思わざるを得ない。

総統府内の展示物は撮影禁止だが、見学終了後の出口付近には撮影場所があり、中庭から塔の写真を撮ることができる。この塔の高さは60m。戦前では台北一高い建物であった。因みに総統府を上から見ると(我々は見ることができないが)、日本の「日」という字に見えるということだ。

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中庭の四隅には六角形の柱状の部分がある。ここが耐震補強構造部分だ。また喫煙室だった(つまり執務室では禁煙だった)というから、戦前の台湾は随分進んでいたことが分かる。

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総統府の前の大通りは交通の要衝らしく、車・バイクが多い。特に信号が変わった後、疾駆してくるバイク郡は圧巻だ。

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総統府からホテルまで帰路はタクシーを拾った。タクシー代120元(約350円)と日本に較べるとかなり安い。因みに初乗り料金は70元(200円程度)だ。料金が安いので台北旅行中はタクシーを随分利用したが、その癖が抜けず帰宅時も中央線東小金井駅から自宅までタクシーに乗ってしまった(雨が降っている上疲れていたから)。料金は1500円。台北なら400円程度で済みそうな感じだ。日本のタクシーは改めて高いと思った次第である。

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