津波に襲われた岩手県宮古市。その中の姉由地区に「つなみを警告する」石碑があり、その教えを守った住民は今回の津波から救われたという話がニューヨーク・タイムズに出ていた。
その石碑には「これより下に家を建てるな」という文字が刻まれている。3月11日に東日本を襲った津波はこの石碑の300フィート(91.44m)下まで押し寄せてきたが、祖先の命令を守った姉由地区の11世帯は無事だった。
日本の海岸には数百の「つなみ石碑」があり「荷物を棄てて高台をめざせ」という警告が刻まれていたり、死亡者の名前が刻まれていたりする。しかし姉由の石碑のように家を建てる場所を示しているものは少ない。そして姉由地区の住民のように先祖の教えを守り高台に住み続けた住民も少なくなっていた。
タイムズによると大部分の「つなみ石碑」は、1896年の明治三陸沖津波を含む百年前の二つの大津波の後に作られたものだ。だが第二次世界大戦後の開発ブームの中で、多くの住人は先人の警告を無視して、漁船に近い海岸地域に移住していった。
いや先人の警告を無視してというと言い過ぎかもしれない。宮古市では「万里の長城」と呼ばれる巨大な防潮堤を築いて津波に備えていた。だが今回の津波の高さは明治三陸沖津波を上回る38.8mで、易々と防潮堤を超えてしまった。
このことは自然災害の破壊力の大きさと対処の仕方を再考させるものだろう。
つまり自然の脅威に対して、力で対抗するのではなく、古人のようにそれを避けるという対処方法だ。
最近読んだ「『史記』と日本人」という対談集の中で、画家の安野光雅氏が次のように述べていた。「へたに堤防を築いているところにかえって洪水が起こったりしますね。ドイツでエルベ川のずっと上流の方に行って驚いたのは、堤防がないんです。ただ川幅がぐっと広くて、河川敷には人が家をつくっていない。」「紀元〇〇年にここまで水がきたから、と線を引っ張って、そこから先には入るまいとする。・・・・人間が不自然なことをするから天が怒るんです。だから言っちゃなんだけど、ダムなんて本当は不自然なことですね」(この対談集は震災前に出版されている)
自然との調和を前提とした安全対策を仮にパッシブ型安全対策と呼ぼう(自動車の安全対策などでは、エアバッグなどをパッシブセーフティと呼ぶがそれとは異なる概念)。
例えば雨具等の登山装備が進化したからといって、悪天候の中を強行突破しようとするのは、アクティブな対処方法で、天気が回復するまで待とうというのがパッシブな安全対策だ。技術の進歩と時間的余裕のなさがパッシブ型安全対策をまどろっこいものにしているが、自然の力は恐ろしいものだということを知らせたのが今回の津波だった。
ところでパッシブというと、地熱や太陽熱を最大限に利用した省エネルギー型の住宅をパッシブハウス(住宅)という。電力不足が予想される中注目を浴びるコンセプトだろう。
またパッシブハウスを建てる程の金がなくても、暑い時は自然の風を取り入れゴロゴロして過ごす・・・・シエスタ(午睡)などというのもパッシブな対応だろう。
我々はアクティブ過ぎる生き方から少しパッシブな生き方へ軸足を移すことを考えるべきなのかもしれない。