金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【台北旅行⑤】幾ら位両替すれば良いか?

2011年04月13日 | 旅行記

米ドルなどしばしば使う可能性がある外貨を除けば、旅行先の通貨に幾らくらい両替すれば良いか?というのは海外旅行で頭を使う問題だろう。

そこでちょっと僕の考えを述べようと思いついたが、考えてみるとどれ位両替するかは滞在日数やお金の使い方で変わるので、前提条件をつけないと意味がなさそうだ。

そこで以下の前提条件で考えてみた。

①ホテルなどクレジットカードで払える先はクレジットカードで払う

②滞在日数は正味3日程度

③余り贅沢はせず通常の観光に徹する。マッサージなども行かない。

④夫婦二人

僕が最初に両替を行なったのは、到着した松山空港の台湾銀行の窓口。2万円を出してネット6,612元(元は通称)を受け取った。換算レートは0.3321で手数料は30元(約90円)だった。

次に3日目に手元が少し乏しいと感じたので、ホテルで1万円を両替。こちらは換算レート0.309で、3,090元受け取った(手数料はなし)。ホテルの両替は銀行に較べるとかなり割高だった。1万円につき200元以上損をした計算になる(市場為替レートは同一として)

結果としては両替した3万円分の台湾ドルで、大部分の飲み食い(一部カード払い)、交通費、お土産を賄うことができたから、最初に3万円両替をしておけば良かった・・・ということなのだがこれは後知恵かもしれない。あればあったで使うのがお金というものだから。

両替場所については、空港の台湾銀行カウンターがベストで、ホテルでの両替は換算レートが割高だ。なお経験はないが、ネットの情報によると日本国内の空港等で両替するのは最悪という話だった。

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今欲しいのは「退きて罪を避けない」ような人だが・・・

2011年04月13日 | ニュース

東日本大震災やそれに続く福島原発事故について第一線で活躍されている自衛隊、消防、警察、米軍・・・などの人を見ていると「国の宝」という言葉を思い出す。「国宝」という言葉の出典の一つは最澄の「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉である。第一線で黙々と任務を遂行される人は国宝である。

ところで「孫子」の中にもある種の人材を国宝だと述べた文章がある。地形編の最後の部分だがざっと意訳すると「勝算があれば君主が戦うなといっても戦うべきであり、勝算がなければ君主が戦えといっても戦うべきではない。(君命に逆らう訳だから)進攻しても功名を求めることはなく、退却しても罪を恐れない。ただ国民と主君の利益を図るだけである。このような将軍こそ国の宝である」ということになる。

「孫子」は九変変でも「君命も聞かざるところあり」といって、将軍は一度指揮権を拝命すれば、個々の戦術については君主の指示に従わない場合があっても良いと主張する。

この問題は現代で考えると「権限委譲の問題」に該当する。米国型の会社における取締役と執行役員の関係を想起すると分かり易いかもしれない。つまり株主の利益を代表する取締役会が君主で、執行役員は将軍である。取締役会は執行役員のパフォーマンスを監督するけれど、個々の施策について口出しすることはない・・・という関係だ。

☆   ☆   ☆

 二千五百年前に「孫子」は「戦争という高度な専門性を要するプロジェクトにその道の素人である政治家が口を出すことは危険だ」と喝破したのである。

災害復旧・原発事故対策など、高い専門性と卓越したプロジェクト管理能力が問われる史上稀な大プロジェクトに必要なものは、孫子がいう「国の宝」というべき人材である。

ところが現実はどうであろうか?菅首相のテレビインタビューを見ていると「責任は第一義的に東電にある」という言葉の繰り返しが目に付く。そんなことは分かっているのだ。今必要なことは各分野において「プロジェクト管理能力に優れたプロ」を任命し、一度任命すれば暫くの間黙って支えることである。それが政治家の使命である。

震災に関して思い出されるのが、帝都復興院の総裁として腕を振るった後藤新平だ。医師出身の彼は衛生行政に詳しく、台湾の民生長官、南満州鉄道総裁、東京市長などを歴任した。だが彼が腕を振るうことができたのは、スタート点で児玉源太郎という優れた上司に恵まれたからだった。明治は遠くなりにけりだ。

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菅政権の足を引っ張る前任者達

2011年04月13日 | 政治

オンライン読売によると昨日(12日)鳩山前首相と小沢元代表が都内で会談し、「東日本大震災や原発事故に関し、菅政権では対応できないとの認識で一致した」。

また小沢元代表は同日夜自宅で、小沢グループ(一新会)のメンバーと意見交換し「(首相等が)右往左往している姿が国民に映っている。国民は国そのものが沈没してしまうような思いになってしまう」と批判した。

確かに菅首相が話は空疎であり、聞くほどの価値はない。日経新聞朝刊(4月13日)は、首相の復興計画づくりに向けた「地域の要望を尊重する」「全国民の英知を結集する」「未来志向に復興を目指す」との3原則をとらえ、これでは何も言っていないに等しいと厳しく批判している。

つまり言語明瞭意味空疎である。だが鳩山前首相に菅首相を批判する資格はあるだろうか?

たび重なる鳩山の国益毀損発言を思い出すと「空疎で意味のない発言者」を「空疎で害のある発言者」が批判している以外の何ものでもないことに愕然とする。

統一地方選挙で国民の信を失ったことが数字で明らかになった民主党政権。末路は前任者達に足を引っ張られて崩壊する・・・という構図が見えてくる。今ほど強いリーダーシップが必要な時はないのだが・・・・どうしてこうなるのだろうか?

地震は天災、原発事故の一部は天災、一部は人災、そして政治の混乱は全くの人災である。

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