金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

余震はいつまで続くのか?

2011年04月14日 | ニュース

今日の昼過ぎにも地震があった。スマートフォンにダウンロードした「なまず速報」で今日の地震の回数を数えてみると21回(ほとんどが三陸沖の地震で東京では感知していない)である。

この余震いったいいつまで続くのだろうか?昨日付けのニューヨーク・タイムズのIn Japan,aftershocks are also felt from within「日本では余震は体内からも感じられる」という記事の中で、米国の地球物理学者Ross S.Stein氏の「余震は少なくとも5年から10年は続く」という言葉を紹介している。

3月11日の地震で震源地付近では海底で24メートルのズレが起きているが、このような大きな動きが起きると大地の中のストレスがシフトし、幾つかの断層線で地震が起きる可能性が高まるからだ(一方別の断層線では地震の可能性が減少する)。Stein氏は全体としては全体としては地震リスクは高まり、亀裂ゾーンから480kmの範囲で地震活動が活発化すると述べる。

東大地震研究所の大木聖子(さとこ)助教は「余震は(最大)マグニチュード8に達する可能性がある」と述べている。

ところで過去の大地震ではどのような余震が起きていたのだろうか?

2004年にマグニチュード9.1を記録したスマトラ大地震では3ヵ月後にマグニチュード8.6の地震が起こり、さらにその後4つのより大きな地震が起きている。

しかし2010年にマグニチュード8.8を記録したチリ地震の後はマグニチュード7.1を超える余震は起こらなかった。

1923年9月1日に起きた関東大震災についてウイキペディアの記事を見ると、4ヵ月後の1924年1月15日に丹沢地震と呼ばれるマグニチュード7.3の地震が起き死者19名負傷者638名の被害が出ている。

今回の東日本大震災は千年前に三陸沖で発生した貞観地震に較べられることが多いが、貞観地震については余震の記録は残っていないそうだ。

さてニューヨーク・タイムズの記事は「幻想地震」つまり実際には地震は起きていないものの、ゆれを幻覚する「地震病患者」が増えているという話だ。

言われてみると私も経験がある。風の強い2,3週間前の週末、書斎で本を読んでいるとゆれを感じたので、天井からぶら下がっている蛍光灯を見たが動いていない。どうも強い風で二階の書斎がわずかに揺れた(春の風位で揺れるとは情けない建物である)ことを地震と感じたようだ。やはりゆれに対して神経が過敏になっているのだろう。

だがこのようなことを所与のこととして、我々は生きていかないといけない。例えば余震が3ヶ月で終わるというのであれば、3ヶ月位山に行かないという対処法があるが、Stein氏がいうように余震が5年も10年も続くというのであれば、腹を括って山でも海でも行くしかないのである(10年も待っていたら老いぼれて山に登れないかもしれないから)。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがれる妙法にて候」と良寛和尚は述べられた。地震という自然の力の前ではバタバタするより和尚の心境に近づくことを考えた方がよいのだろう。

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【台北旅行⑦】「小心」は良い言葉?

2011年04月14日 | 旅行記

台北で地下鉄(MRT)に乗っていると、中国語のステッカーが張ってあったり、テロップが流れるのでぼんやり眺めていても、多少中国語の単語を覚えることがある。

車両が駅に近づくと場所によっては「小心間隙」というテロップが流れることがある。その後英語のテロップが流れるので「ホームと車両の隙間に気をつけてください」という意味だと分かる。

間隙は日本語でも同じだが、小心の方は少し違う。中国語の「小心」は「気をつけなさい。用心しなさい」という意味だ。日本語の小心にも「細かいことまで気を配る」という意味はあるが、「小心者」という使われ方をするように「気が小さくて臆病」というマイナスイメージが大きい(と私は思っている)。辞書で見る限り中国語の小心にマイナスイメージはなさそうだ。

「心」が「用心しなさい」という意味で使われるのは英語と同じだ。「小心間隙」のことを英語ではmind the gapという(ただしこれはイギリス英語でロンドンの地下鉄ではよく耳にする。台北の地下鉄ではmind the gapとは言っていなかった)。

中国語の「小心」は日本語では「用心」という言葉に近い。ただし中国語で「用心」yongxinというと「意図、下心」という意味だそうだ。「別有用心」というと「狙いは他にある」ということになる。中国語では「用心」という言葉の方が「小心」よりマイナスイメージがあるかもしれない。

日本は中国から輸入した単語を使ったはずなのに、どこで違いが出てきたのだろうか?

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芝に桜を惜しむ

2011年04月14日 | まち歩き

昨日(4月13日)仕事で芝に出かけた後、地下鉄一駅分歩いて増上寺で散る桜を眺めた。

増上寺の大門には「地震のため瓦が落ちる危険性あり」の注意書きがあった。その大門の横に小さな門があり、旧台徳院霊廟惣門と説明書きがある。台徳院とは徳川二代将軍秀忠のこと。NHK大河ドラマ江の主人公・お江は秀忠の正妻だ。

その惣門の中に仁王様がおられた。

説明書きによると、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市)の西福寺の仁王門に安置されていたもの・・・とある。また「江戸時代の仁王像としては破綻のない作行きを示す貴重な作品」ということだが、付近を散策する人はだれも関心を示していなかった。

惣門を少し進むと東京タワーがくっきりと見えた。震災で曲がった塔の先もよく見える。

抜けるほど青い空から暖かな風に乗って桜の花びらが舞ってくる。花は愛惜に散っていく

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【台北旅行⑥】北投温泉、加賀屋さんは見るだけ

2011年04月14日 | インポート

4月10日日曜日淡水を散策した後、台北近郊の温泉として名高い北投温泉に立ち寄った。北投温泉にはMRT淡水線・北投駅で新北投行きの支線に乗り換える(一駅だけの短い線)

新北投駅を降りると目の前に公園があり、その先に温泉博物館があるのでそこを往復した。その先に「地熱谷」(日本統治時代は地獄谷と呼ばれた)という高温の源泉があるが、少し疲れてきたので割愛。

写真の温泉博物館は日本統治時代に建設された公共浴場で一階が大浴場、二回は休憩エリアだった。1994年に地元小学校の教師・生徒がこの建物を発見し、保存運動を起こした。

一階大浴場の浴槽はかなり深そうだった。

温泉博物館の横を流れる川の向こうには、和倉温泉の加賀屋が地上14階の大きなホテルをオープンしている(HPによると2010年12月開業)。http://www.kagaya.co.jp/misc/tw/

特別室は14万円、標準のお部屋でも一人3.2万円とあるから結構なお値段である。将来とも縁のなさそうなホテルなので、一見して新北投駅に戻った。

それにしても加賀屋のホテル百年後はどうなっているのだろうか?共同浴場は博物館になったが、この場違いなほど豪勢な建物は何になっているのだろうかという疑問を覚えた。

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