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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

日米とも豊かさの目安は年収15万ドル

2011年12月15日 | インポート

ギャラップ調査に「アメリカ人は年収がどれ位あると豊かと感じるのか?」という調査が出ていた。それによると年収6万ドル以下で豊かだと感じる人は18%、9万ドル以上10万ドル未満が12%、10万ドル以上15万ドル未満が23%、15万ドル以上30ドル未満が18%だった(以下省略)。4%の人は年収100万ドル以上になって豊かだと感じるという。中央値(満足する年収順に並べて丁度真ん中に来る人)は15万ドルだった。

15万ドルという数字は議会で税制の議論が行なわれる時の富裕層の所得水準よりは少し低い。

15万ドルというと現在の為替レートで換算すると12百万円弱だ。では日本人はどれ位の年収で豊かさを感じるのだろうか?ピッタリくる統計データを見つけることはできなかったが、日銀内の金融広報中央委員会が平成20年に発表している「家計の金融行動による世論調査(二人以上の世帯)」を見ると次のようなことが分かる。

「経済的な豊かさを実感している」人の割合は4.3%で、「経済的な豊かさをある程度実感している人」の割合は32.8%である。一方所得の分布を見ると「税引き後所得で年収1,200万円以上の人」の割合が4.2%だ。また年収500万円以上の家計の割合は39.8%である。「豊かさ」「ある程度の豊かさ」と年収の間には強い関係があると推測される。

もっとも「経済的な豊かさ」を構成する要素は年収が一番ウエイトが高いが年収だけではない。65.8%の人が「豊かさの条件」に「ある程度の年収の実現」をあげ、49.3%の人が「ある程度の金融資産の保有」をあげている(重複回答あり)。

従って上記の税引き後年収1,200万円が豊かさのスレッシュホールド(敷居)だという結論は統計学的にはやや乱暴だけれど直感的にはかなり妥当な結論だといえそうだ。

仮に税率を2割とすると税前の年収では1,500万円が閾値となり、実感的な物価水準(つまり1ドル=100円程度)で比較すると米国の15万ドルと極めて整合的だと判断できるのである。

もっとも年収が少々増えてもその分贅沢をするから豊かさの実感を伴わないなど色々な議論がある。一方欲を抑えて足るを知ることができればもっと少ない年収でも豊かさを感じることはできる。米国で2割近い人が年収6万ドル未満で豊かさを感じていることはこのことを示している。

なお前述の「金融行動による家計調査」によると、75%の人が「心の豊かさ」に必要なものとして「健康」をあげていた(「経済的豊かさ」は「家族とのきずな」とならんで50%で2番目)。収入にこだわるより、運動と適切な食事で健康を重視し、規則正しい生活をすることが心の豊かさにつながるということなのだろう。

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大学山岳部の活動劣化に愕然とした

2011年12月15日 | 

先日久しぶりに出身山岳部のHPで登山活動実績を見て余りの変貌振りに開いた口がふさがらなかった。例えば剣岳での夏山合宿を見ると一般登山道(別山尾根)からの頂上往復と雪渓練習1日だけで岩登りはおろか源次郎尾根や八つ峰などの岩稜歩きすらない。頂上を一般登山道から往復するのであれば、ちょっとした仲間の集まりでできることだ。60歳を幾つか過ぎた私も会社の山仲間と来年は剣岳に行こうと言っている位だ。カラフルな市販のガイドブック片手にぞろぞろと山を登るのであれば、山岳部を名乗る必要などどこにもない。

これが神戸大学山岳部固有の現象なのか大学山岳部全体の現象なのか知りたくて幾つかの山岳部のHPをのぞいてみた。そうするとわが山岳部の体たらくぶりは目立つというものの、概ね大学山岳部は軟弱化している。

関西系の大学山岳部の活動記録を見ると比良山系の沢登りがよく出てくるが、私はこれらの沢はほとんど高校時代に独学で登っていた。あえて大学山岳部がワイワイ騒ぐほどのものではないと思うが・・・・

このような大学山岳部の活動の劣化の原因は何なのだろう?大学生と直接話をした訳でないが私は次のようなことだろうと考えている。

  • 大学生から困難に挑戦しようという気概が失せた。あるいは山登りで困難を追求しようと思う学生は大学山岳部ではなく、社会人団体等に所属するようになった。
  • 大学山岳部の一つの売りであった「未知への挑戦」という気分がなくなった。私達が若かった頃は「重箱の隅」のようなものであるが、まだ東北地方の一部の渓谷などに未知ないしほとんど記録がないというところがあった。今はもうそのようなところはないのだろう。だから大学生に山でパイオニアワークを求めるのは無理なのだろう。

それにしてもかってヒマラヤやチベットにも遠征したことがある山岳部の劣化には愕然とした。せめて願うことはこれが山岳部の劣化にとどまっていることである。

もし若者全体の風潮が「困難への挑戦」「未知への憧れ」を失っているとしたらそれは余りに由々しきことだから。

コメント (4)
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面白かったヒストリア「裏忠臣蔵」

2011年12月15日 | テレビ番組

昨日(12月14日)NHKで午後10時から放送した歴史秘話ヒストリアは面白かった。何が面白かったか?というと忠臣蔵を「赤穂浪士に殺された吉良上野介」「将軍綱吉」「大石内蔵助の妻・りく」の3人の視点で評価している点だ。

吉良上野介の視点で忠臣蔵を見てみよう。高家筆頭として大名を頂点とする武家社会の礼儀作法指導係である上野介は浅野内匠頭に朝廷の使者を饗応する作法を指導していたが、使者が江戸城に来ている最中に内匠頭に斬りつけられた。

何故内匠頭が上野介に刃傷に及んだかは謎である。この番組もそこには触れない。番組は上野介が賄賂を要求したことに内匠頭が怒ったという解釈については、それは賄賂というよりは指導料だという立場を取る。それが当時の一般的理解であったとすれば、上野介には自分が内匠頭に恨まれ、斬りつけられる理由が分からない。

だが世間の目は上野介に厳しく、切腹した内匠頭やその遺臣達に同情的だ。老中幕閣もまた浅野家に同情的で、上野介は江戸市中から討入りされやすい両国の方へ転居を命じられる。

結局上野介は赤穂浪士に首を打たれ吉良家はお家断絶。奮戦した養子は他家に預けられ19歳で死ぬ。

上野介の立場で考えると、朝廷を敬う将軍綱吉の意向に従って、きちんとした供応作法を内匠頭に指導したのに、理由も分からず刃物で攻撃を受ける。事件後将軍からは「養生せよ」と暖かい言葉も受ける。しかし世間は喧嘩両成敗ではなく、浅野家に厳しい処置を下した幕府に批判的だ。その批判は上野介に向かう。やがて仇討ち成就。赤穂浪士を褒め称える声が高く吉良家の養子は防御を出来なかった責任を問われお家断絶。

なんとも理不尽というのが吉良上野介とその一族の思いではないだろうか?

これは余りにも極端な例だが、世の中で正義とか正論と声高に叫ばれるものの中には、実はそれを叫ぶ人たちの不満のはけ口になっている場合が多い。落ち着いて考えると上野介に大きな落ち度があった可能性は極めて低い(上野介は領地の吉良町では治水工事等を行った名君と言われている)。

私は以前から浅野内匠頭が一種の精神疾患にかかり、上野介に強迫観念を抱き刃傷に及んだのではないか?と考えている。つまり犯行当時意思能力が欠如していたので現在の裁判制度のもとでは心神喪失として不起訴になったのではないだろうか?

刃傷事件に激怒した綱吉は即日内匠頭に切腹を命じたが、本来であれば内匠頭の犯行動機をもっと調査するべきであり、事情によっては穏やかな措置を取るべきであったのかもしれない。

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