金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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算数以前の議員定数削減議論

2011年12月09日 | ニュース

今日(12月9日)の日経新聞朝刊に財務省出身の玉木衆院議員が「議員定数の削減無くして増税なしの理念だ」と説明したと出ていたが、ちょっと待ってくれといいたくなる話である。

まず算術的に見ると国会議員の数を100人程度削減しても(前原政調会長は衆院80、参院40の削減案を来年の通常国会に出したいといっている)、削減できる歳出は数十億円の話。無論我々庶民からみると大きな金額だが、日本が抱える財政赤字の大きさから較べると取るに足らない話だ。また消費税引き上げによる数兆円の税収効果に較べても極めて小さい。

その小さなことと必要な大きなこと(消費税増税)を比較するというのは、どういう計算なのだろうか?

国会議員の中に「国民に負担を求めるのに身を削っていないとの不信感がある。これをどう払底するかだ」という議論があるそうだが、国民が嫉妬とやっかみの気持ちで国会議員を見ているといわんばかりの上から目線の言い分である。国民は議員の数が多いことに不満を持っているのではないだろう。むしろ政治の機能不全に不満を持っているのではないだろうか?

国会議員の定数というものを考えるには、まず経費ではなく、「民意を正しく政治に反映するにはどれ位の数が必要か」とか「中身のある議論を行なうにはどれ位の数が妥当か?」とかいう観点から論じられるべきだろう。

なお念のためにいうと日本の国会議員の数は米国に較べると多過ぎることは間違いない。日本の参院議員定数は242名だが米国の上院議員数は100名(衆院は480名、米下院は435名)

国土面積や人口の違いを考えると、現在の半分くらいの議員数で十分だろう。

私は国会議員の数を絞る方法は、議員に一定レベルの見識や知識を求めるテストをすることだと考えている。たとえば孔子は「士(いわば高級官僚、今で言うと国会議員など政治家である)とは何ですか?」という弟子の子貢の問いに「自分の生き方に恥があり、国を代表して外交交渉に臨んで国益を全うして相手を感嘆させるような人物だ」と述べている。ところが今の日本では恥を知る政治家も少なければ、外交の場で話をさせると何を言い出すか(あるいは何のメッセージを発信できないか)不安になる人が多過ぎる。

また内政ではポピュリストが多過ぎる。目先の痛みを伴う政策でも5年先、10年先を見据えて断行するという気概がなさ過ぎる。

勿論選挙が国民による政治家の人物判定の場であることは承知しているが、昨今の国会議員のレベルの低さを見ると、倫理観や歴史、政治経済などの知見をテストしてはどうかと思う。

コメント (7)
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