ワイフと上野の国立博物館で「みちのくの仏像」特別展を見てきました。一番のお目当ては会津・勝常寺の薬師如来像に再会することでした。勝常寺は数年前の夏、尾瀬から安達太良山にドライブ旅行に行った時、たまたま立ち寄った会津盆地の中の古刹です。事前予約をして置かないとご本尊の拝観はできないと聞いていたので、携帯電話で連絡をとり、拝観がかないました。堂守をされていた年配の女性の方が懐中電灯の光を薬師如来のご尊顔に当てられたので、お顔をよく見ることができたのですが、多少違和感を覚えたことを記憶しています。
その薬師如来像(国宝)は穏やかさと威厳を備えられ、改めて素晴らしいと感じました。勝常寺が建立されたのは、平安初期の頃。当時の感覚でいえば、都から遠く離れた会津盆地の中にこのような素晴らしい仏様が拝まれていたことに少し感動します。立派な伽藍が建立され、素晴らしい仏像が作られたことは、会津に相当な経済力があったことと都との太い交流パイプがあったことを意味します。
さてもう一つ今回の特別展で印象に残ったのは、秋田・小沼神社の「聖観音菩薩立像」でした。「なぜ神社に観音様?」と疑問に思ったので、今朝インターネットで調べてみると大変参考になるブログに出会いました。http://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-74.html
そのブログによると「小沼神社はもともと小沼観音堂と呼ばれた神仏習合のお寺」で、土地の人々から「カミとしてホトケとして」信仰されていたようです。そして村人達の必死の努力により、廃仏毀釈の嵐の中、守り抜かれたそうです。
廃仏毀釈運動とは、元々「カミとホトケを分ける」神仏分離令(慶応4年の太政官布告)に端を発します(明治維新以前にも廃仏毀釈の動きはありましたが)。
しかし仏教で「カミとホトケ」を分けることは元々無理があるような気がします。なぜなら広い意味での仏様は、如来・観音・明王・天に分けることができますが、天(帝釈天や吉祥天など)は、明らかにヒンドゥー教の神様だからです。さらに日本の神様の一部が取り込まれたのが、日本の仏教体系です。これらの神様達は如来様のように悟りを開いていませんから、仏教では一段下に見られていますが、身近なところで私たちの暮らしと仏法を守護する役割を与えられていたと昔の人は考えていたのでしょう。
宗教=Relegionというキリスト教的な枠組みで考えると日本の仏教の境界線は非常に曖昧に見えますが、たとえばヒンドゥー教的な定義で宗教を考えると明治以前の日本の仏教の違った輪郭が見えます。
正月は神社に初詣、お彼岸はお寺に墓参りというと、宗教的に無定見だと感じる人がいるかもしれませんが、初詣・墓参りをひっくるめて日本教(ヒンドゥー教はインドの宗教という意味だそうです)と言ってしまえば、日本人もちゃんとした宗教を持っているという見方ができるのではないか?などと考えています。