昨日(7月16日)安全保障関連法案が衆議院を通過した。今日菅官房長官は記者会見で「参議院の審議では戦争法案だとか徴兵制といった誤解を解いていく必要がある」と語った。
また安倍首相は国民の間で非常に評判が悪い新国立競技場について計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直すと記者団に語った。
安全保障関連法案と新国立競技場とは直接関係がないが、国民に評判が悪い二つのプロジェクトを強引に推進すると支持率が一層下がると判断したことは間違いない。
さて安全保障関連法案に関する与野党の議論が噛み合わず、多くの国民が立法を急ぐことに疑義を感じているのは、安全保障関連法案の成立を急ぐ本当の理由を内閣が言わないからである。
正確にいうと「言えない」からである。安全保障関連法案の成立を急ぐ本当の理由は台頭する中国の軍事的脅威に対抗するためなのだが、名指しで中国の脅威をあげると中国が怒るので、ホルムズ海峡での機雷掃海などを想定事例として説明するので、国民の中には法案の必要性に疑問が生じるのである。
中国メディアは日本の軍国主義復活にお決まりの警告を発しているが、中国政府の対応は比較的おとなしいし、数日前には日中軍事専門家が偶発的な衝突を回避するための共同提言を行っている。
中国は南シナ海で軍事的プレゼンスを高める一方、目下のところやや日本に対してトーンダウンしているので、内閣が中国を名指しで集団的自衛権の本当の目標だとは説明し難い。
このあたりのことは、オピニオンリーダーがきっちり説明する必要があるのだが、上記のような話をすると右傾している意見と見られてしまう。
本来外交や軍事問題には、右も左もなく、現実を直視した国益に沿う対策が求められるのだが、難しい問題である。
数日前にエコノミスト誌はGloves off : A pcifist nation inches closer to taking responsibility for its own securityという記事を書いていた。
Gloves offはボクシングのグローブを外すこと。つまり本気になるということだ。何に本気になるかというと「自国の安全に責任を持つことに少しずつ近づいている」ということである。
孫子の言葉を引くまでもなく、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」で「彼を知らずして己を知らざれば戦う毎に危うし」なのである。
本当は国民の多くが信頼するような外交・軍事のシンクタンクが日本を取り巻く地政学的な問題をはっきり示すことが必要なのだろう。それなくして自国の安全に責任を持つ国にはなれない。