金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

『三枚肉』の微妙な話

2006年08月14日 | 本と雑誌

今日(8月14日)はお盆の最中で朝刊は休み、電車も空いているので少し前にワイフが買った向田邦子の短編集「思い出トランプ」を読みながら会社に行った。『三枚肉』というのはこの短編集の中の小説のタイトルである。

粗筋はこうだ。ある会社で部長職を務める半沢は、以前の秘書大町波津子から結婚式の招待を受ける。以前波津子が失恋のショックから仕事のミスが増えた時、半沢は波津子を「事情を話してみないか」と食事に誘ったことがあった。食事の後波津子は半沢に「一つだけ甘えていいか」とゲームセンターへの同行を請う。ゲームセンターで波津子は「畜生」「馬鹿野郎」と呟き泣きながらスクリーンに向かって銃を撃ちまくる。その後二人は近くのパブを経て、魔がさした様に関係を持った。更に別の機会にまた関係があったが、深みにはまることを恐れた半沢はやがて波津子を異動させ二人の関係は終わった。

波津子の結婚式が無事終了したその夜、半沢の自宅に大学時代の友人多門が訪ねてきていた。半沢は多門と妻幹子の間に若い頃関係があったのではないかと疑っている。半沢、幹子、多門の三人は幹子が時間をかけて煮込んだ三枚肉をほおばる。草を食うだけの牛が肉と脂の層になっていくように「肩も胸も腰も薄い波津子も、あと、二十年もたてば、幹子(立派な体格)になる」と半沢は思う。「幹子がなにも言わないように、波津子もなにもしゃべらず年を取ってゆくに違いない」というところで小説は終わる。

以上が小説の粗筋だが、ちょっと感想を書こう。まずこの小説は「思い出トランプ」の中で出来栄えは中以下だろう。余りダイナミックでないからだ。「三枚肉」というタイトルも今ひとつピンと来ない。加えて私個人の経験からいうとちょっとリアリティに欠ける。つまり秘書と部長や役員の間でこのようなLove affairが起きるとは私にはにわかに信じ難いのであるが、これはモテナイ男のひがみというものだろうか?私自身秘書や部下の若い女性の個人的な悩みを聞くことがなかった訳ではないが、「部長、ステーキご馳走様でした。お話したらすっかり元気になりました。ご馳走様!」という程度で終わっている。これは私の秘書達の悩みが浅かったのかあるいは彼女達が健全だったのか、はたまた私に男としての魅力がなかったのか何れであろうか?

実のところ私は日本のサラリーマン会社では部長・役員などというものは構造的にモテナイ男でないとなれないポジションだと考えている。その理由は部長や役員を選ぶのは通常社長や人事担当役員であるが、彼等は自分よりモテル男に嫉妬を抱き、自分よりモテナイ男を部下に選ぶ傾向があるからだ。女性にモテながら組織の階段を登り詰めていくということは、小説はいざ知らず、現実には多くない話である。かくして一般的にはモテナイ部長・役員の再生産が行なわれるのである。

ところで向田邦子は秘書の波津子を痩せ気味で目鼻立ちの小作りな女性に設定している。「安いお雛様みたいな顔をした女の子」といった重役がいた。肌理(きめ)が細かいだけが取柄で、姿かたちのほうも、雛人形のように肉の薄い、洋服の似合わない女の子だった。という具合に。ここのところは私にはリアリティがある。私の経験では秘書とは安いかどうかは別としてお雛様のような顔をしているものだという印象がある。又私は向田邦子よりもはるかに痩せ気味の女性に好感を持っているので、もし私が波津子を描くならもっと好意的に描いたろう。

というようなことを思っている間に会社のある神田駅についていた。「思い出トランプ」は直ぐにワイフに返しておこうと思った。この様な小説集を何時までも読んでいると「何か思い当たる節でもあるのかしら?」とワイフに勘ぐられる懸念があるからだ。見に覚えのないことで嫌疑を受けるほどつまらないことはない。

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ブログを書く理由

2006年08月10日 | ブログ

最近のエコノミスト誌に「経済学者がブログを書く理由」を分析した記事があった。この記事の概要を述べた上で私がブログを書く理由を今一度自分で考えてみたい。

  • 効用や利益の極大化を図る知的訓練を受けている経済学者が無報酬でブログを書いていることは奇妙に思われる。しかし経済学者のブログには需要があり、ブログの中にはIMFや連邦銀行のような影響力を持つ機関の人々の頻繁なアクセスを含み、毎日数千件のアクセスを受けるものがある。
  • 経済学者に取ってブログを書く時間を出版やコンサルティングに使えば、報酬を得ることができる。デロング教授がブログで得る収入はサイト上のリンク広告収入だけでサーバコストをカバーするだけのものである。ブログを書く理由について、最もアクティブなブログの一つを書いているカリフォルニア大学のデロング教授は「ブログは知的な影響力を振るうゲームの場だ」と言っている。
  • ノーベル賞を受賞した経済学者ゲーリー・ベッカーは2004年に法学者のポスナーと合同でブログを立ち上げているが、両者は彼等のサイトが「考えやアイディア、事実、イメージ、現地報告、学識の即時的なプール」となり得ると信じていた。
  • 大学教授が無報酬でブログを書くことに多くの時間を費やすので、大学はこの行為が大学の価値を引き下げるのではないかと疑問に思うかもしれない。ブログを書くことと出版の生産性の間に直接的な関係があるという証拠はないが、最近のある研究は、インターネットが大学の教室を越えて知識を広げる可能性をもっており、それがかっては存在したエリート学校の競争力を失わせていることを示している。
  • その研究によれば、1970年ではハーバード大学に移った経済学の教授は調査の生産性を倍増することができた。個人の生産性と大学の生産性の強い相関関係は80年代には弱くなり、90年代の終わりには消滅した。
  • コミュニケーション技術はエリート学校の生産性の競争力を減少させたが、生産性だけが大学の成功を図るものではない。人気のあるブログを書く名高い教授は良い宣伝になる。優秀な学生は優秀な教授に学ぶことを求めるものだ。
  • ブログを書く理由には私利もある。総ての経済学者が無報酬で骨を折っている訳ではない。ハーバード大学のマンキュウ教授は自分で書いた教科書をブログの中でしつこく宣伝している。またセッサー教授の場合は、マクロ経済の話題、典型的には中国に関する話題について毎日2,3時間ブログを書いている。毎週3千人の人がこれを読んでいるが、これは彼の最新の著書を買った人数よりも多い。ブログは経済学者のマイクロホンによる声をメガホンによる声に変えることができる。影響力の価値には値段が付けられないものがある。

私のブログは多岐にわたるので、ブログを書く動機も複数ある。一つは自分の考えや行動記録を電子的に蓄積しておく場所としてブログを使っているということだ。つまり電子日記、もう少し格好をつけるとDigital Archivesである。今ある業界紙に毎月寄稿しているが、原稿を書くときの資料になるのでこれは便利だ。

次に金融・経済に関する正しい(と私が信じる)考え方を読者に伝えたいということだ。それがもし読者諸氏の金融リテラシー向上に貢献するところがあれば職業人として冥利に尽きる。

同様に山を中心とした日本の美しい自然についてお伝えしたい。それが美しい日本の自然を守ることに多少なりとも貢献することができればまことに喜ばしい。 更に言えばこの美しい国を守るために一市民として政治的な提言も行なって行きたいと考えている。

しかしもっと初歩的には「自分が書いたモノが人に読まれることは嬉しい」という思いがある。これはマズローの欲求段階説では4段目の「承認欲求」(自分を認めて欲しいという欲求)にあたるものの様だ。きればこの欲求を一つ上の「自己実現の欲求」まで高めたいものなのだが。

「影響力の価値には値段が付けられないものがある」という言葉は著名な経済学者になってもなお「承認要求」があるということを示しているのだろうか?ブログを書く理由を見つめると人間が分かってくる・・・といえば言い過ぎだろうか。

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水明館露天風呂混浴談義

2006年08月09日 | 旅行記

先週新穂高温泉の水明館佳留萱(かるかや)山荘http://www.nande.com/karukaya/に泊まった。ここは下呂温泉の水明館の弟分である。下呂の水明館は今年同ホテルで催された植樹祭に今年天皇皇后両陛下がご出席されたという大変有名ホテルだ。

新穂高の水明館だが、1ヶ月程前旅館に電話で予約を申し込むと「JTBにまとめて部屋を預けているのでそちら経由で予約して欲しい」という返事なので、JTB経由で予約する。3人一部屋で一泊二食の料金が1.6万円程度である。

さて独標から上高地に下りた後、タクシー40分で水明館に到着。早速火照った体を露天風呂に運ぶ。水明館の露天風呂は混浴風呂・女性専用風呂・貸切露天風呂の3本立てになっている。混浴風呂は大きな4つの湯船がある。いや湯船というより池という方がぴったりする。旅館のパンフレットに東海随一の千人風呂規模を誇る大露天風呂とあるが、千人はさて置き2百人位は無理なく入れそうだ。

Suimeikan035

男性はこの混浴風呂に入る。女性は旅館の受付で専用のバスタオルを借りて、それを体に巻いて入ることになっているが、問題は果たして見目麗しい女性と一緒にお風呂に入れるかどうかである。旅館のパンフレットには湯煙に浮かぶ美人2人が写っているのだが・・・・

水族館のワニのようにポカンと湯船に浸っていると、黄色いバスタオルを巻いた女性が2,3人こちらにやってくるのが見えた。ただし眼鏡を外した私にはまだ年恰好がはっきりしない。やがて対象物体の輪郭がはっきりするほど距離が近くなると、なんとそこには丸太にタオルを巻いた様な中年の女性が3人いるではないか。皆さん体格が良くて体のくびれがほとんど出ていらっしゃらない。おばさん達は気さくに「あちらから槍ヶ岳が見えますよ」なんて教えてくれる。聞くと名古屋から来た「乗鞍岳・上高地一泊二日」バスツアーのご一行の方だとか。

確かに混浴風呂の蒲田川に近い方から槍ヶ岳が見える。又入らなかったけれど貸切露天風呂の中に望槍釜の湯というのがあり、ここから槍ヶ岳が良く見えるということだ。

混浴風呂には一泊の間に4回入ったが、ついぞパンフレットの写真のような妙齢の女性と出会うことはなかった。しかし4回も温泉に入ると日頃の肩凝りもすっかり消え気持ちがよくなった。もって良しとするべきだろう。

水明館の食事は可もなく不可もなし。一番美味かったのは旅館の入り口で谷水に冷やされていた完熟トマトのスライスというと水明館さんに怒られるかもしれない。あと焼いた岩魚を熱燗に入れた岩魚酒が美味かったことを付け加えておこう。

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一澤信三郎バッグを買った

2006年08月08日 | うんちく・小ネタ

私は概してモノに拘らない方であり、特段の収集癖など持っていない。ただ多少の例外があるとすればそれはバッグである。というとエルメスだとかハンティングワールドのバッグを持っているのか?とお思いの方がいるかもしれないが、そのようなブランド品はほとんど持っていない。ただカバンやショルダーバックについては時としてその場の思いつきで買ってしまう悪い性癖が私にはある。今回京都に帰省した時もその悪い癖が出てしまった。というのは今相続問題で話題になっている一澤信三郎帆布http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/にふらふらと寄ってしまったのだ。

今回はある事情からワイフとマイカーで帰省していたが、東京に帰るため朝9時過ぎに南禅寺の手前まで来た時ふと「一澤信三郎氏の店は午前9時から開いているということだ。今日はウイークディだし、こんな早い時間なら空いているだろうから落ち着いてバックを選べるかもしれない。とにかくちょっと覗くだけ覗いて見よう」という気が起きたのである。このことをワイフに話すとOKというので、早速車を東山三条を少し下ったお店に車を向けた。

ところがである。午前九時半というのに何とお店の前には既にお客さんの行列が出来ているではないか?

Ichizawa

「こりゃ、大変だ。何時入れるのか?」と思ったが東山通りをはさんで向かい側の駐車場に車を止めて、とりあえず行列を整理しているお店の人に様子を聞いた。すると混雑をさけるため、入場制限をしているが20分程で入れますよということなので列の後について待つことにする。

思ったより早く15分程待って入店。店の中は20代、30代の女性に加えて年配の男性もちらほら見える。バッグ等の商品は毎日工場からこのお店に搬入しているそうで、売り切れたらその日はお仕舞いということだ。入り口には「お一人2点まで」という張り紙もある。店の中はある種の熱気に包まれ、何か買わないとおさまらないような感じなのだ。

ということで例の悪い癖がでて写真のショルダーを買ってしまう。

Bag

大きさは32cm×25cm×12cmで結構容量があるので、本や一眼レフと交換レンズ一本位を入れて待ち歩きをするに持ってこいの様だ。ただしチャックや留め具等は付いておらず、作成の手間が少ない様で値段は1万円だった。

実は私のもう一つの悪いところは思い切って高いものを買うことが出来ないというところである。「安いから買っちゃおう」ということでついつい色々なバッグに手を出すが、最初に徹底吟味していないので機能的な不満が後で出てしまうのである。ワイフからは「それ程文句をいうなら、オーダーで作れば!」などと言われるのだが、そこまでの気合も入っていないのである。果たして今回は前車の轍を踏まないだろうか・・・

さてワイフはというと「私は買わないわよ。3,4千円でトートバッグがあったけれど、伊勢丹で貰った粗品と変わらないから買わないわ」と言う。世事全般はさて置き、ことバッグ類に関する限り私は到底ワイフの賢明さには及ばないのである。しかし世間には私の様な人間が多いことも事実なのだ。バッグというものには、並の人間の判断力を狂わせる何かが潜んでいるとしか言いようがない。そうでないと多くの人がクラクラする真夏の京都の街角で並んでまで、一昔前の素材である帆布のバッグを買うということの説明が付かないのである。

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真夏の独標

2006年08月07日 | 

8月の第一週の金曜日、会社の先輩達と西穂高・独標(2,701m)に登り上高地に下った。快晴・爽やかだけれど満員の頂上・汗だくの下山・楽しい温泉とこれは日本の夏山そのものだった。

木曜日の午後11時の新宿西口発平湯温泉経由高山行きの高速バスに乗車。バスは満席で少し窮屈だが、出発と共に寝入ってしまう。午後4時少し前定刻通りに平湯温泉着。料金は一人5,600円也。帰路に使った路線バスの料金が新穂高・松本間2,800円であることを思えば、極めて良心的な料金といえる。さて平湯のバス乗り場からは予約しておいたタクシーで当日夜泊まる新穂高温泉の水明館に向かう。タクシー料金は5千円強だ。ここで一眠り。6時半頃新穂高ロープウエイ乗り場で岐阜から参加したN君と合流し、一番ケーブルに乗る。ケーブル頂上駅で笠ケ岳の眺望を楽しんだ後、7時40分頃登山開始。8時50分頃、西穂山荘到着。

私はここから50mmマクロレンズ(35mmカメラ100mm相当)を付けたカメラを肩にかけ、花や風景を撮りながら独標を目指すことにする。写真はクルマユリだ。

Kurumayuri_1

西穂山荘から独標の間にはそれ程高山植物はなかった。丸山付近でイワツメグサの写真を撮った。

Iwatumegusa

少し登ったところから見た独標は立派だ。午前10時頃だが、独標の上には登山者の姿が見える。

Dopyo1

独標の最後の10分程の登りは中々急で最後はちょっとした鎖場が出てくる。皆真剣な顔で岩をよじった。午前10時30分頃独標到着。目の前に吊尾根が見える。左が奥穂高岳、右が前穂高岳だ。

Turione 

振り返ると焼岳が低く見える。焼岳2,455mよりは2百m以上も高いところにいるのだ。

Yakedake

独標の頂上は狭く20名程の人で喧騒を極めている。岩場を下りだすと妙齢の女性が「トイレに行きたいので追い越させてください!」と言いながら、目の前の鎖を奪うようにして岩を駆け下りていく。と思えば下から元気な小学生が、ロープを引っ張りながら登ってくるという具合で誠にせわしない。よく事故が起きないものだと感心する。

正午前に西穂山荘に戻り、小屋でアイスコーヒーなどを飲んでから上高地へ下山する。道はダケカンバやオオシラビソの茂る樹林帯をひたすら下るものだが、途中宝水(たからみず)と名づけられた水場がある。小さな流れで喉を潤すと汗が引いていく。ただしガイドブックによると水が枯れることもあるというので要注意だ。大きな沢音がする中、最後の急斜面を下ると道は平坦になり、やがて上高地の遊歩道に出た。午後3時だった。独標から上高地への降りは標高差が1,200mあるので人によっては太股にこたえる場合もある様だ。

この後帝国ホテルのカフェが軽くビールを飲み、タクシーで平湯温泉の水明館に向かった。平湯から新穂高へはタクシーで40分、1万円である。

水明館は250名は入ることができるという大混浴の露天風呂が売りものだが、その話は別のブログで書こう。

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