昨夜午後8時からはBSプレミアムの「英雄たちの選択」勝海舟の江戸城無血開城を見ていた。「武士の家計簿」の磯田道史氏を初めコメンテーターの意見は中々面白かったが、コメンテーターの中に「戦略論」のプロを入れるともっと見応えがあった、と思った次第。
慶応4年(1868年)3月、江戸城総攻撃を目指して進軍してくる東征軍に対して、勝には二つの選択肢~「徹底抗戦」と「無血開城」~があったと番組は述べる。その時勝には3つの達成するべき課題があった。「徳川家の存続」「江戸を戦火に巻き込まないこと」「内戦の長期化により外国勢の干渉を招かない」ということだ。
これを「戦略論」的に整理すると、達成するべき3つの課題は「政治目的」で、「徹底抗戦」か「無血開城=政治的交渉」は手段である。クラウゼビッツ流にいうと「戦争は血を流す政治的交渉」であり、戦争は政治的な目標を達成するために遂行するものである。従って政治的交渉により政治目的が達成されるのであれば、戦争という手段に訴える必要はない。
何故なら「兵は不祥の器にして君子の器にあらず。やむなくしてこれを用いる」(老子)ものであり、「百戦百勝は善の善なる者ではなく、戦わないで相手を屈服させる者が善の善なる者」(孫子)だからだ。
勝海舟とその交渉相手の西郷隆盛が「老子」や「孫子」の言葉を熟知していたことは間違いないだろう。1832年に書かれたクラウゼビッツの「戦争論」を知っていたかどうかは私には分からないが。
勝の胆力だとか交渉力が注目される江戸城無血開城だが、私は次に2つのことを見落としてはならないと思う。
第一は勝が「戦争になっても勝つあるいは少なくとも簡単に負けない」というシュミレーションを行いそれをちらつかせていたことである。特に幕府艦隊を使って、東進する東征軍を東海道が海岸に接近する駿河湾で艦砲射撃するというシナリオは実現性は高い。交渉というものは、力の裏付けなどの交渉材料がなくては成立しない。英米人は交渉材料をleverageと呼び、交渉の早い段階でお前のleverageは何だ、と聞いてくる。そしてleverageの強弱で着地点を探るので交渉のまとまりが早い。
国と国、会社と会社、人と人の間の交渉で大事なことはleverageを持つということだ。Leverageのない交渉は哀願に過ぎない。
次に勝と西郷という交渉相手が、重要な政治目的と教養という人格形成の基盤において共通点を持っていたということだ。
「世界最大級の大都市である江戸=東京の機能を損なわないこと」「大きな内戦を回避し、外国干渉を招かないこと」さらにはその先の「富国強兵で外国に伍していく」という政治目的の共有。また儒教や禅を中心とした東洋哲学に対する深い造詣と実践の共有。そして勝と西郷の無私の精神。これらが揃って江戸城の無血開城は可能になったのだ。
このことは今後の外交問題を考える上でも示唆的だ、と私は考えている。