来月私が顧問を務めている会社で内定者セミナーで「30分ほど話をして欲しい」という依頼を受けました。
人前で話をすることは苦手ではありませんし、相手は嫌でも話を聞いてくれる人達ですから二つ返事で引き受けました。
しかしその後、落ち着いて考えてみるとここしばらく若い人向けに話をしたことがないことに気がつき、何の話をしようか?とあれこれ考え始めています。最近私が話をするのは主に士業の方や金融機関で個人営業を行っている方向けのセミナーの場であったり、シニア層の方向けにライフプランニングノートを作成する話です。また自分が書いた本も「会社におけるリーダーシップとは何か?」(「人生という山坂の登り方降り方」)ということに関するものが多く、これから仕事を始める人にはまだ縁遠い話だ、と思われます。
またその会社は都市設計などを請け負うコンサルタント会社なので新入社員の方は理科系が多いのです。自分の子どもよりはるかに若い理科系の人達にどのような話をすれば役に立つのだろうか?と考え始めると中々チャレンジングなことだと気がつきました。
短い時間にテンコ盛り「の話をしても印象が薄くて何も残らないでしょう。恐らくこのような場合は「テーマを絞り込んで色々な角度から掘り下げる」方が良いと思いました。
まだ時間があるものですから、幾つかのテーマについてラフなストーリーをまとめてみて、しばらく寝かせた上で一番その場の雰囲気に合うものを選択する、ということでまず幾つかのテーマを選んでみました。
その第一は「仕事ができるとはどういうことか?」です。第二は「会社と社会で通用する基本行動特性とは何か?」にしようと考えています。そして三番目は「レジリエンス(逆境力)をつける」です。
さて第一の「仕事ができるとはどういうことか?」についてです。
まず私が会社に入った40年位前と較べると「仕事能力を測定する物差し」は相当変わりました。そしてこれから10年20年間に「仕事能力を測定する物差し」はまた大きく変わるでしょう。
過去40年位の間に「仕事能力の物差し」を大きく変えた要因は、「IT技術の進化」「モノつくり・サービス・金融などの国際化」「企業合併・再編などによる雇用の流動化」「家族観の変化」などです。今後の10年20年はこれらの流れが更に強まるとともに、人工知能を活用したビッグデータの利用等が加速し、かなりの仕事がなくなるあるいは大幅に削減される可能性があります。
最近新聞を賑わしているものに自動車の自動運転化があります。安倍首相は東京オリンピックまでに自動運転車を実走行させると言っています。私は完全に自動運転の車が走るのは2030年頃ではないか?と予想していますが、2020年頃に「高速道路内は自動運転する車が走りはじめる」可能性はあると考えています。
今日(10月19日)の日経新聞朝刊の第1面は「銀行・保険が牽引して大卒内定者が5年連続で増えた」という記事です。来年4月の採用者数トップはみずほで三井住友銀行が2位、三菱東京UFJが4位、日本生命6位と上位には大手金融機関の名前が並んでいます。
オックスフォード大学のある論文は「あと10~20年でなくなる職業と残る仕事」というリストを提示しています。
それによると「なくなる職業」の第1位はテレマーケッターです。そして第5位には保険業者、10位に銀行の新規口座口座開設担当者、14位に保険金請求・保険契約代行者、15位に証券会社の一般事務員、20位に銀行の窓口係りに入っています。
大手銀行や保険会社の新入社員の多くが窓口業務や一般事務に従事するとは思いませんが、逆に多くの人が国際業務や高度な資産運用業務に従事するとも思えません。金融機関の業務に従事する相当数の人の仕事が人工知能により失われる可能性があると考えておいてよいのではないでしょうか?
一方「残る職業」のトップはレクリエーション療養士。2位が整備・設置・修理の第一線監督者、3位が危機管理責任者、10位に消防・防災の第一線監督者、12位に宿泊施設の支配人が続いています。
残る職業のキーワードは「療養士・ソーシャルワーカー・カウンセラーなど高い対人能力を求められる仕事」と「危機管理等滅多に起きないことに対する対応能力を必要とする仕事」です。
日常的に繰り返される業務をルーティン業務とすれば、滅多に起きないことはプロジェクト業務と呼ぶことができるでしょう。
ルーティン業務は早晩人工知能に置き換わります。置き換わる時間軸は業務によって異なると思いますが。
一方前例のない仕事は大量のデータを分析して、仕事をコンピュータ化することは不向きです。そこに人間の知恵や直観力が活かされると思います。
10年20年経っても、通用する「仕事力」の源泉は私は他者理解力などのヒューマンスキルと前例のないことにチャレンジし、ソリューションを見いだすチャレンジ精神や直観力にあると思っています。そしてそれらの力を着けることが社会人として「勉強する」ということなのだと私は考えています。