金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

「慎重な楽観」という撞着語法

2008年11月12日 | 社会・経済

最近は朝ネットで英字新聞を見て面白そうな話題を拾ってブログに書く・・・・ということが多いが、今朝は怠けてしまった。毎日ブログに立ち寄ってくれる人もいるので申し訳ないような気がしている。怠けた理由というのは昨日(11月12日)は某銀行の会長さんと少し飲み過ぎたからだ。飲み会の席でその会長さんが「最近僕は日本株投信を買った」という話をされていた。株式相場が完全に底を打ったかどうか分からないが、底値に近いことは確かだということだ。「僕は目先はさておき長期的には楽観的に見ているよ」というのが会長の相場観。

面白いことにファイナンシャルタイムズによると、メリル・リンチのテイン会長も昨日カンファレンスで似たような表現をしていた。While he was cautiously optimistic about future of the financial services industry, he lacked optimism about the near-term prospects of the US economy and global markets.

「彼(テイン会長)は金融サービス業についは慎重に楽観視しているが、近い将来の米国経済と世界市場の見通しについて楽観していない」

「慎重な楽観」などのように本来矛盾する言葉を並べて、読者・聴衆の注意を引く修辞法を撞着語法という。英語ではOxymoronという。語源はギリシア語でOxyは「鋭い・賢い」という意味でMoron(ギリシア語ではMoros)は「鈍い・馬鹿な」という意味だ。つまりOxymoronという言葉自体が自己撞着している。何故英語名を出したか?というと、英語では「撞着語法辞書」がウエッブ・サイトに出ているからだ。一例はこちら→http://www.drmardy.com/oxymoronica/oxymora/a-i.shtml

辞書がある位だから、アメリカ人が撞着語法にこだわることが分かるが、日本語でも「撞着語法」はかなり使われる。例えば松本清張の小説「遠い接近」というのも一例だ。ルネッサンス時代の英雄を主人公にした塩野七生の小説「チャザレー・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」の「優雅なる冷酷」も好例だ。

撞着語法がインパクトを持つ理由を考えてみると、人間とは元々矛盾に満ちているということに突き当たる。会社で小難しい顔をしているおじさんが家に帰ると可愛い子犬を飼っている・・・などいうのも撞着だ。池波正太郎はエッセイの中でよく「人間というものは悪いことをしながら良いことをする」という主旨のことを書いているがこれも一種の自己撞着だ。

株式市場というのも自己撞着の世界である。株式市場を動かすのは「人間の貪欲」と「恐れ」である。別の見方をすると「リスク選好」と「リスク回避」が綱引きをする世界。つまり自己撞着が市場を動かしているのだ。

いや自己撞着が動かすのは市場だけでなく、世の中のこと総てなのかもしれない。そうだとすると自己撞着の大きな人間つまり矛盾に満ちた人間の方が大きな仕事をすると考えることもできる。ゴルフの力強い打球が体のねじれから生まれるように、タフな人生は自己撞着のねじれの中から生まれるのかもしれない。

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