金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

証券会社の店舗統廃合は軽い

2019年06月10日 | 金融

野村證券が店舗の「統合」を発表したのは5日前の6月5日。その頃夕食時に野村證券田無支店から電話があったが、株のセールスだと思い電話に出なかった。後で思うとどうも支店統合の挨拶だったと思う。

2,3日にして野村證券から「お客様各位」で「田無支店と吉祥寺支店の統合のお知らせ」という手紙が届いた。田無支店を吉祥寺支店に統合することになった。統合日については改めてご案内する。ご不便をおかけしますが、来店の頂く場合は「吉祥寺支店」をご利用ください。という内容だった。

「証券会社の店舗統廃合は軽いなぁ」というのが私の印象。野村證券は店舗「統合」と言っているが、消滅する店舗の視点を入れると「統廃合」である。もっとも我が家のような小口取引先には手紙一本で手続き終了だが、大口顧客にはface to faceの挨拶があるのだろうと推測しているが。

「証券会社の店舗統廃合が軽い」といった趣旨は「銀行の店舗統廃合に較べて軽い」という意味である。

経営環境が厳しくなる中銀行の店舗統廃合も加速しそうだが銀行の店舗統廃合は証券会社のそれに較べると手間がかかる。少なくとも考慮しないといけない項目が多いことは間違いない。

銀行の場合は現金受け払い、公共料金の支払い窓口をどうするか?場合によっては貸金庫をどうするか?ということを検討し、顧客不満を最小化する努力が必要だ。(最終的には顧客に交通費を負担して貰っても自行の統合存続店に誘導するか?あるいは廃止する店舗お近くの他行店舗に流出することを容認するか?だろうが)

これは銀行が顧客の決済インフラを担っているという宿命からくる課題である。

証券の場合はオンライン取引が進んでいるので、来店取引は少ない。オンライン取引の方が委託手数料が安いからだ。余程「重要な相談」を伴わない限り来店取引は少ないだろう(個人的意見だが)。

実際今回店舗統廃合が起きてもほとんど不便はない。

通帳がないというのも証券会社の強み。取引明細や月末残高などはネット配信となっており、郵送されてくるものは「確定申告」に必要な書類程度だ。この辺りの仕掛けの軽さが証券会社の店舗統廃合手続きを軽くしているということができる。

逆にいうとセミナーでもやらない限り来店客は少ないので、店舗網を構築していること自体が無駄だったということもできる訳だが・・・

決済インフラを担っている銀行としても、証券会社の軽いところは見習って仕掛けを極力軽くする努力はするべきだろう。いずれ店舗の統廃合は避けて通れないだろうから。

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「欠点をなくすより、『憎めない人』を目指そう」~角田光代さんのエッセーから

2019年06月10日 | うんちく・小ネタ

ふと図書館で借りた角田光代さんのエッセー集「わたしの容れもの」の中に、「補強される中身」という小文があった。

話の趣旨は次のとおりだ。

★  ★  ★

長く生きていると色々な経験をして、寛容になるなどよりよい人間になると思っていたが、最近違うと思い始めた。

人は年をとっても、よりよい人間になったりしない。急いでいた人はますます急ぎ、怒りっぽかった人はますます怒りやすくなり、たいてい不寛容になる。・・・どちらかというと、美点より、欠点のほうが、助長されていくような気もする。

欠点をなくしたり、克服したりするのは、どだい無理なのだ。だから目指すべきは、悟りでも賢さでもなく、「憎めない」人になることなのである。

★  ★  ★

角田さんのエッセーは読んでいて楽しい。なぜ楽しいかというと、我々が日ごろ経験することをさりげなく、だけど少し深く掘り下げて新鮮な切り口を見せてくれるからだ。そして時に角田さんが意図したかどうかは分からないが、はっとするような処世訓になっていることがある。

まさにこの「憎めない人」を目指そうはその典型だ。私も長年勤め人を続け人事というものを眺めてきた。そして勤め人として成功する唯一の秘訣をあげるとすれば「憎めない人である」ことではないか?と考えるようになった。スキルややる気があっても「憎まれる人」は長続きしないからだ。

また退職後家族や地域との接点が濃くなるなかで、居場所を確保していく上で一番大切なことは「憎まれない人」になることだ、と考えている。

人は大なり小なり欠点を持っている。美点も視点を変えると欠点になる場合が多い。逆もまた真だ。慎重といえば美点だが、優柔不断というと欠点になる。せっかちというと欠点のニュアンスが強いが、迅速というと美点に変わる。

人は個々の欠点で「憎まれる」より、もっと根本的な資質のようなもので「憎まれる人」になったり「憎めない人」に留まったりするのではないだろうか?

その基本的資質としては「親しみやすさ」「率直さ」「自分の弱点を素直に認めることができる」ことなどだと私は考えている。

日本語の語彙不足で時々漢字の読み間違いをする政治家が「憎めない人」だったりするのも、この辺りに機微があるのかもしれない。

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