オリンピックが終わりました。コロナで自粛生活が続く中テレビの前に座り続けていた人も多いと思います。
私も今回ほどオリンピックを観戦したことはこれまでなかったです。
幾つか印象に残る場面がありましたが、一つ上げるなら男子マラソンでオリンピック2連覇を果たしたケニアのキプチョゲの独走シーンでしょう。
非公式ながらマラソンで2時間切りの記録を持つキプチョゲは30㎞過ぎから独走態勢に入りまったく危なげのない勝利を収めました。
私は彼の優勝を見て「ある種の競技は勝ちに不思議の勝ちなし」だなと思いました。
この言葉の元になっているのは、江戸中期の平戸藩主松浦静山の「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けあり」という言葉です。
心形刀流の剣法を修めた静山の言葉は、失敗には必ず原因があるとして慢心を戒めたものですが、キプチョゲのような圧倒的な選手を見ると「勝ちに不思議の勝ちなし」という言葉もあっても良いと思いました。
最終日に日本と対戦したアメリカの女子バスケットや空手(形)男子の喜友名選手も「勝ちに不思議の勝ちなし」という言葉を想起させます。
もっともオリンピックを観ていると「種目によって偶然が勝利を左右する度合いは違う」と感じました。
私がざっと見たところ、走ったり泳いだりする時間を競うような種目は、特に距離が長くなるにつれ、偶然が左右する度合いは低くなります。
つまり実力=持ちタイムが速い人のある人が勝つのです。
一方パフォーマンスを競う競技では、一発の大技が勝利を呼び込んだり、大技の失敗が敗北に繋がります。
例えば女子スケートボード(パーク)では、世界ランク1位の岡本選手が抜群の得点で予選を通過したものの、決勝では思ったとおりのパフォーマンスができず4位に留まりました。
私が直感するにスケートボードのような新しい都市型スポーツでは偶然性が勝利を左右する割合が高くなっているような気がします。
マラソンで優勝したキプチョゲは勝利の後「スポーツは人生のようだ。勝つこともあれば負けることもある」と語りました。
15戦して13勝のキプチョゲにしてこの言葉。彼は勝ち負けの彼岸を走っているのでしょうね。
私はスポーツも人生も「勝ちに不思議の勝ちなし 負けに不思議の負けなし」と言いたいのですが、なおゲームによっては不思議=偶然性が高いゲームがあると考えています。
スポーツでいうと都市型スポーツの偶然性が高く、仕事やビジネスでいうとやはりアイディア勝負の都市型ビジネスでは偶然性が成功のカギになっている場合が多いような気がします。
偶然性の高いゲームではあまりに一度の勝ち負けに固執すると自分を見失うかもしれません。勝つこともあれば負けることもあると信じて自分の道を走っていることが大切なのでしょう。