コロナ感染が急増して医療崩壊の危機が政府や都道府県から叫ばれる中、それ程外出が減らない状況が続いています。
なぜ政府・自治体がコロナウイルス感染拡大を災害と同じだと怒号しても国民の防災意識は高まらないのでしょうか?
理由は幾つかあります。
第一は「馴化」という現象です。簡単にいうと「狼少年」現象です。危機感の煽りは1,2度は有効ですが回数が重なると慣れっこになって効果が薄れます。
第二は政府や都道府県の無責任さに対する国民の反発です。何時までにワクチン接種を実施するといっても手配不備で接種が実施されない。しかし誰もその責任を取ろうともしない。マイナンバーカードを健康保険証として使えるようにする、と言っていたのに何時までたっても実現できない。マイナンバーカードをコロナ感染拡大防止に使おうという努力のない。そして誰も何の責任も取ろうとしない。
ちゃんとした民間企業でこのような出鱈目が起きれば責任者の首は飛んでいます。また不手際が重なれば社長の進退が問題になるでしょう。
第三に日本の病院数は張りぼてだ、ということです。昔読んだ司馬遼太郎の従軍経験の中に当時の日本軍の戦車とアメリカやソ連の戦車は名前は戦車だけれど中身は全く違うものだという文章を思い起こします。
そう、アメリカやソ連の戦車は少々の砲弾をはね返す分厚い装甲版で被われているのですが、日本の戦車は小さなエンジンで走ることができるように装甲版を薄くしていたのです。だから砲撃を受けると戦車に貫通してしまうのです。これでは日本の戦車とアメリカ・ソ連の戦車の対戦など望むすべもない。
つまり名前は戦車でもアメリカやソ連の戦車と日本の戦車は全く別物と考えるべきなのです。
このロジックが100%今日の日本の病院と英米の病院の比較に適応できるという確信はありません。しかし日本で言っている病院と英米の病院とは重症患者の取り扱い能力において全くことなるものではないか?と私は考えています。なぜならそう考えるのが、単位人口当たり世界一の病床数を持つ日本が英米に較べると少ない感染者数で医療崩壊の危機に瀕するのか一番説明できるからです。
これらの問題点をキチンと説明し、責任を取るところは責任を取る。つまり国民に対するコミットメントを達成できない部門長は更迭する。危機対応ができない古い医療体制を抜本的に改革することを国民に約束する・・・
といったことを行いながら国民の協力を求めない限り、うまくいかないと私は考えています。