「老いて学べば、則ち死して朽ちず」という一句は、江戸後期の儒学者佐藤一斎の言志晩録(言志四録の一部)に出てくる言葉だ。
この一句は「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて朽ちず」の後に続いている。
直訳すれば「老年になっても学んでおけば、見識が高くなり、社会に役に立ち、死んでからもその名前は残る」ということだ。
「死んでから名前を残す必要なんかない」という人もいるかもしれない。私もそう考えることもある。だがもし自分の子どもや孫が私の死後「年を取ることも悪いことじゃない」と思うような生き方を残すことができれば良いと思うこともある。
ではどのような生き方が悪くない生き方なのか?
人にはそれぞれ生き方はあるが、悪くない生き方に共通するのは自立していることだと思う。
自立の源は自ら考えることだと思う。人の意見に安易に左右されず、誘惑に迷わされず、自ら知恵と判断力で長い人生を歩き続けることだと思う。
学ぶということは単に本を読むということではない。色々な事を経験し、人の話を聞き、自分で考え自分の答を出すことだと私は思う。
言志晩録には「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うこと勿れ。只だ一燈を頼め」という言葉もある。
油断をすると特殊詐欺に巻き込まれたり、高額の健康食品を買わされたりとシニアライフには危険がつきものだ。遺産整理や遺言書の作成など後の人を煩わさないためにやっておくことは多い。
そのためには学ぶことが多いのだ。「老いて学べば死して朽ちず」とは、できるだけ自立する生活を保ちながら、立つ鳥跡を濁さずを実践することなのである。