今回のシンポジュウムでは、寺島実郎さん(日本総合研究所会長)がジェロントロジ―について基調講演を行う予定です。寺島さんは「ジェロントロジ―宣言」~「知の再武装」で100歳人生を生き抜く(NHK出版新書)の中で次のように書いています。
- 「第二の人生」は「第一の人生」と変わらないほど長い。これまで学んできた知識や、仕事で身につけた技術やキャリアがそのまま通用するほど甘くはない。
- 意識して学び直す「知の再武装」で世界に対する視野を広げ、自分の立ち位置を理解する必要がある。
ここで思い出すのは、江戸後期の儒学者佐藤一斎の「老いて学べば、則ち死して朽ちず」という言葉です。この言葉は「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず」に続いています(言志晩録60条)。
現代風に読めば「学生時代にしっかり勉強しておけば、社会人になった時立派な仕事が仕事ができる。社会人としてしっかり勉強しておけば、リタイアした後も衰えることなく、ボランティア活動などで活躍することができる。リタイアした後も意識して知の再武装に務めるなら、残された人に好印象をもたらすような人生の幕引きができる」ということです。
つまり「老いても学び続ける」必要があるのは、超高齢社会だから始まった話ではないのです。
ところでシニアは何を学ぶべきなのでしょうか?
私は大きく分けて2つあると考えています。一つは「情報通信技術」や「健康」「終活」などに関わる具体的で目に見える技術や知識の習得です。これをきちんとやっておくのとやらないのでは、後々大きな差が出てきます。
もう一つは「自分とはなにか」「自分はこの先なにをやるべきなのか」という人間の根幹にかかわるいわば哲学的な思索を深める学習です。
おそらくここをある程度整理できると死に臨んで必要以上にあたふたすることはないでしょう。逆にこの問題を避けてばかりいると、心の平静を得ることが難しいかもしれません。
道元禅師は正法眼蔵の中で「仏道をならふというは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり」と述べています。
現代風に解釈すれば「仏道(哲学)を勉強するということは、自分を勉強するということなんだよ。自分を勉強するということは、既成概念でガチガチになっている自分を一旦忘れ、素直な眼でモノゴトを見ることなのだよ。素直な眼で現実を見る時、色々なことが自ずから教えてくれるのだよ」ということでしょう。
こう考えていくと勉強することは沢山ありますね。それをやりがいと感じるか負担と考えるかが最初の分岐点でしょうが。