金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

宴の前の神代植物園

2010年03月22日 | まち歩き

3月22日春分の日の翌日の振替休日。午前中快晴なので自転車で神代植物園に出かけた。桜(ソメイヨシノ)の開花には1週間ほど早いが色々な花が咲いていそうなので、ザックにカメラ、交換レンズ(マクロと望遠)、一脚を入れるとちょっとした重さになった。自宅から神代植物園までは片道9.2km、約30分であるが、サイクリング用のヘルメットをかぶって出発。ヘルメットを被るのは万一の場合の頭部保護が目的だが、周りの車に「僕はシリアスなサイクリストなんだ。車道を走るけどよろしく」というメッセージを送る効果もある。ヘルメットの隙間を抜ける風はまだ冷たいけれど爽快だ。エコを考えるなら自転車で植物園に行こう!自転車を使った植物園訪問はガソリン代削減と健康促進の点で一石二鳥以上の効果がある。

植物園は桜の前なので空いていた。写真好きのおじさんが三脚を抱えて歩いているが「宴の前」という感じだ。

この時期白い花が目に付く。最初はコブシの花だ。

Kobushi

Kobushi2

ズイコーの望遠ズーム(1:2.8-3.5(50-200mm))で撮影。自然に背景がブルーになりコブシの白い花が冴えている。

コブシの仲間のモクレンの花はともしびのように幻想的だ。

Mokuren

ハナモモの白い花も可憐だ。

Hanamomo

足元に目をやるとハナニラが咲いている。この花は我家の庭にも咲く。

Hananira

ソメイヨシノのつぼみは固いが、大寒ザクラなど寒ザクラ系の桜は沢山咲いていた。

寒ザクラの花には鳥たちが集まる。綺麗なメジロを撮ろうと思うのだが、中々見つからず、目に付くのは図体の大きなヒヨドリである。

Hiyodori

ジンダイアケボノと名前のついた桜も半開している。

Jinndaiakebono

「花は半開を看、酒は微酔に飲む」というのは中国の菜根譚に出てくる言葉。何事もほどほどが良いということだ。

Ookanzakura

大寒ザクラでは葉も花と一緒に成長している。

シジュウガラは咲き始めた枝垂桜の花をついばんでいる。

Shijyuugara_2   

黄色い花で一番目に付くのはスイセンだ。

Suisen

もう少しおとなしいところではサンシュの花。

Sanshu

紫系の花ではカタクリの花が可愛らしい。カタクリの花というと奥多摩の御前山を思い出す。御前山のカタクリは足場のよくない急な斜面に一生懸命咲いていた。それに較べて神代植物園のカタクリは周りを柵で囲われ踏まれたり、上から砂利が落ちてくるリスクはない。

Katakuri

紫系の花ではキクザキイチゲという花が咲いていた。名札がついていたので名前が分かったがすぐ忘れてしまいそうだ。花の名前を沢山覚えている人を本当にえらいなぁと思うことがある・・・・・

Kikuzakiichige

ウマノアシガタ、みょうにツヤツヤした花だがこれも野に咲く花なのだろうか?

Umanoashigata

最後は植物園の門前にあったパンジーの鉢植え。ポップアートというフィルターを使って赤や黄色を強調してみた。

Popart

くるくる回って写真を撮って約1時間半。桜満開の植物園は楽しいがその少し前の好事家だけが歩く植物園も結構楽しいものである。

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金沢の短い旅(2)~武家屋敷~

2010年03月21日 | 旅行記

兼六園の真弓口を出て、香林坊へ歩き、武家屋敷跡を目指した。日差しのない少し寒い日で体が冷えてきた。3時頃になったので、コーヒーを飲もうと思いながら、武家屋敷跡を歩いていると「鏑木商舗」という陶器店兼喫茶店という店に出会った。

コーヒーを飲んでから店内を見る。1000円以下のお土産品から数万円する作家の名前のい入った作品まで数多くの陶器が並んでいる。

Kaburagiya

お店の奥のギャラリーには、古い九谷焼の逸品が飾ってある。

Kunanimeihin

Kutanimeihin2

中々手がこんでいると思うが鑑識眼がないので良し悪しは分からない。折角来たので記念にと思い3千円弱の杯を一つ買う。なお「鏑木商舗」は麻布に分店を出している。http://kaburaki.jp/

鏑木でコーヒーを飲んで外に出たら、明るい春の日差しが武家屋敷跡に注いでいた。

Bukeyashiki2

Bukeyashikicouple

青い空に雪つりが映える。

新聞社の近代的なビルと古い武家屋敷のコントラストが面白い。

Bukeyashikishinkyu

石垣の石の色もよく見るととても個性的できれいだ。

Ishigaki

「野村家」という加賀藩千二百石取の武家屋敷跡を見学する。この武家屋敷には豪商の屋敷の一部などが移築されているので中々見ごたえがあった。庭園も中々良い。

Nomuraya

気に入ったのは石製の手水鉢。細い小さな流れは、奉行職を歴任した当家の繁栄と武家制度の解体による零落を越えて流れ続けている・・・・・

Bukeyasiki

野村家を出た時は午後4時近かったが、なお明るい春の日差しが注いでいた。人通りのない路地奥から二本差のお侍が出てきても違和感のなさそうな金沢・武家屋敷跡であった。

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金沢への短い旅(1)~兼六園~

2010年03月21日 | 旅行記

前からお彼岸には京都に帰郷する予定だったが、ふと金沢に立ち寄ってから京都に向かうことにした。金沢に行くのは二度目三十年振りのこと。東京から金沢には上越新幹線・越後湯沢駅から「ほくほく線」を経由して約4時間で到着。午後1時半金沢駅の手荷物預かり所にキャスターバッグを預けて、タクシーで兼六園に向かった。タクシー料金は1,300円程度。運転士さんに金沢観光のあらましなど聞いている内に「桂坂」入り口に到着。観光地でちょっとタクシーを利用して、運転士さんから観光スポットの話など聞くと参考になるので、私は時々タクシーを使う。

Kenrokuensakuragaoka

桜には早いが青々とした苔の庭はよく手入れされていて綺麗だ。

園内の大きな池・霞ケ池に向かうと「ことじ灯篭」という灯篭がある。

Kotojidourou

その横には雁行橋という橋が浅い流れの上にかかっている。

Gankoubashi

流れの中に入って箒で川底を洗っている数名の人がいた。推測するに川底の石についた苔や藻を洗っているのだろう。

松の根の周りを土を掻き落として、根を際立たせた「根上松」と名前のついた松があった。

Neagarinomatsu

中央部の小高い人造の丘・栄螺(さざえ)山に登ると、霞ケ池の全貌がよく見えた。

Kasumiike

兼六園には幾つか出口があるが、武家屋敷跡に行くため、真弓坂の出口に向かった。真弓坂の手前には瓢(ひさご)池という池があった。

Hisagoike Hisagoike2

瓢池の奥には梅林があり、旬を過ぎた梅の花が残っていた。梅の盛りを過ぎ、桜には早いこの時期見る花はないだけに観光客も少ない。Ume

園内をざっと回ると1時間弱だった。紅葉の季節にでもまた来てみたい趣のある庭園である。

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韓国、外交で頑張る

2010年03月17日 | 国際・政治

今年の11月に韓国は初めてG20のホスト国になる。同時期に横浜でアジア・太平洋経済協力体(APEC)が開催されるが、G20をその前に開催するため韓国政府が強力に動いたという記事を少し前日本の新聞で読んだ。

昨日のFTはInto positionというタイトルで、経済活動のみならず外交面でプレゼンスを高めようとしている韓国の状況を紹介していた。記事は日本で「ハーグ密使事件」から書き始める。ハーグ密使事件というのは、第二次日韓協約により外交権を日本に接収された韓国が、1907年にオランダのハーグで開かれた平和会議に密使を送り、韓国の外交権保護を訴えようとした事件だ。だが彼等は会議出席を拒まれた。密使の一人イ・ジュンYi Jun李儁はホテルで客死した。韓国ではイ氏の死を伝統的に自殺としているようだが、病死という説もある。FTはKorean tradition says, Yi killed himself in his hotel room.と説明しているが、客観的な解説というべきだ。密使事件の3年後、1910年8月に日韓併合条約が調印された。今年は日韓併合からちょうど100年目に当る。

FTは韓国は世界的なリセッションからいち早く脱却した国の一つというだけでなく、人民元問題をはさんで対立する中国とアメリカの架け橋になろうとしていると述べる。商売っ気の強い李 明博大統領は「世界は二つのグループに分けることができる。一つはグローバルなルールを定めるグループで、もう一つはそれに従うグループだ」と述べて、ラジオ演説で「韓国はルールに従うグループから、課題を決定するグループに変身することに成功した」と述べている。

李大統領はハイチ地震の救済に関して、義捐金の拠出、救援隊の派遣等で指導的な役割を果たしたと信じられている。李大統領は世界の危機に対して軍隊をより積極的に派遣することを望んでいる。韓国は既にソマリヤ沖の海賊対策に艦船を派遣しているし、アフガニスタンではインフラ作業の警備に当ることを約束している。

韓国は経済活動で幾つかの分野で世界をリードするまでになっているが、外交プレゼンスもそれに合わせて高めようということだ。また外交プレゼンスを高めて、原子力発電所の工事などを受注しようという官民一体の動きも見えてくる。

韓国の海外投資や海外受注が活発化していることや韓国企業が高収益を上げていることは、日本のメディアでも伝えられているところなので重複は避けるが、サムスン電子の利益が日本の電子機器メーカー15社合計の利益を上回っていると聞くと考えさせられるものがある。

韓国の現在の一人当たりGDPは約2万ドルで日本より5千ドル少ない。しかしある予想(When China rules the worldの中の資料)によると、2050年には韓国は米国と並んで世界で一番一人当たりGDPが高い国になっている(一人当たりGDPは9万ドル)。この時日本は世界8位で韓国と一人当たりGDPの差は2万ドル(2006年の貨幣価値で)!になっている。

将来のことはあくまで予想に過ぎないし(かってジャパンアズナンバーワンといわれたこともあった)、そもそも50年先まで私が生きていることはないので、将来GDPが逆転することを悩む必要はないだろう。

しかしである。台頭する中国やインドのパワーをフルに活用する韓国が色々な面で日本に迫り追い越しつつあることから我々を学ばなければいけないことが沢山あるのではないだろうか?

因みにFTは「韓国はインドの香港になろうとしている」というある評論家の意見を紹介していた。中国への海外投資が初期の段階では香港を経由したように、サムスン電子やヒュンダイ自動車などの韓国企業がインドに静かに忍び寄っているという意味だ。

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延命治療、道元禅師ならどう考えられたか?

2010年03月16日 | 健康・病気

「延命治療」などという重たいテーマは苦手なのだが、昨日日経新聞が特集していた「医療・介護改革 本社提言」を読んでいて思うところがあったので述べてみたい。

「本社提言」によると「治る見込みがなく、死期が迫っている場合の延命治療について、中止に肯定的な答えが一般で7割、医療関係者では8割を超えた」

また「北欧では食事介護はするが、老衰の人に特に理由がない限り管を通した栄養補給はしない」と外国の例を示し、「延命治療について国民の関心を高め、政治家が超党派で議論を深めるべきだ」と結んでいる。

議論を深めて貰うことは大いに結構だが、私はその前提となる個人の死生観をまず見つめて欲しいと思っている。

最近読んだ「座禅ひとすじ」(角田泰隆著 角川ソフィア文庫)に教えられるところがあったので紹介したい。この本は日本の曹洞宗を築いた道元禅師達の業績を述べたものだが、平明な文章で道元禅師の思想が紹介されているので読みやすい。

54歳でこの世を去る道元禅師は前年から病が重くなっていた。この本には病名は書いていないが、別の資料によると死因は「瘍」ということだ。

「座禅ひとすじ」は愛弟子の義介を呼び寄せて語る道元禅師の言葉を紹介している。「今生(こんじょう)の寿命は、この病気できっと最期(さいご)だと思う。だいたい人の寿命には必ず限りがある。しかし、限りがあるといっても病気のままに、なにもせずに放っておくべきではない。だから、おまえも知っているように、私も随分、人に助けてもらい、あれこれ医療を加えてもらった。それにもかかわらず全く平癒しない。これもまた寿命であるから驚いてはいけない」

1253年8月15日中秋の夜。道元禅師は「また見んと おもいしときの 秋だにも 今宵の月に ねられやはする」との辞世の歌を残しこの世を去る。

「座禅ひとすじ」は「生死即涅槃。人間の生死(輪廻)は、そのまま仏の御いのちであり、もし生死を嫌うならば仏のいのちを失うことになる。また生死に執着するならば、これもまた仏のいのちを失うことになる。生死を嫌わず、涅槃(生死輪廻から脱することを)を願わず。この時はじめて真に生死を離れることができるのだ。」と解説する。

この文章は平明だが本当に理解することは簡単ではなさそうだ。むしろ道元禅師の義介に与えた言葉をそのまま受け止める方が理解しやすい。

当時としてできる限りの医療を受け(つまり一生懸命生きる努力をする)、それでも治らないと知った時はこれを寿命として受け止める(生死に執着しない)。

もし今日、道元禅師が死期を迎えられたと想像すると、禅師は延命治療をどう判断されただろうか?恐らくは不必要なまでの生への執着として拒絶されたであろうと私は考えている。

延命治療の問題とは、寿命とは何かという問題であり、それは医学的な問題というより、人の命とは何かという問題を、輪廻の中でとらえるという哲学的な作業を下敷きにしないといけない問題だと私は感じている。

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