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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

所得格差弊害論、ニューヨークタイムズで人気を博す

2010年10月21日 | 社会・経済

ここ数日ニューヨーク・タイムズ(ネット版)のビジネス面で一番人気の高いのが、コーネル大学のRobert H. Frank教授が寄稿した所得格差弊害論Income Inequality:Too big to ignore(所得格差は無視するのは大き過ぎる)だ。

フランク教授は、1976年には所得上位1%の層が総所得の8.9%を得ていたが、2007年には上位1%の層が総所得の23.5%を得ている。しかしこの期間にインフレ調整後の時間給は7%以上下落したとまず事実を述べる。

そして同教授は「多くの経済学者は所得格差の問題に直面することを避け、良し悪しは別としてそれは哲学者の価値判断の問題だとするが、そもそも経済学は道徳哲学者により基礎が築かれた」と述べ、アダム・スミスの「道徳感情論」を持ち出す。

だがフランク教授はこれ以上所得格差の問題を道徳的観点から論じない。同教授は「費用収益的アプローチ」から所得格差が国民経済的にマイナス面が大きいことを実証的に説明する。

同教授は企業のトップは他のトップ達が住んでいるというだけで、トップは不必要なまでに大きな豪邸に住む、もっと控えめなところに住んでも幸福度は変わらないだろうがと指摘する。そしてトップクラスの贅沢な生活・消費態度は、「滝の流れ」のようにその下の層へと次々に伝播し、中間層の負担を重いものにすると述べる。

同教授の研究仲間は全米で最も人口が多い100の郡について調査を行い、所得格差が急拡大している群ほど、消費者の経済的困窮を示す兆候が増えていることを発見した。経済的困窮の兆候とは例えば破産宣告であり、離婚率である。また通勤時間の長さも困窮の尺度である。

また同教授は経済的に困窮した中産階級は道路の補修等基本的な公共サービスに対しても支持する意思が低くなると指摘している。

では所得格差の拡大はプラス面があるかというと、同教授は格差拡大が経済成長を高めるとか誰かの福利を強化するという説得力のある証拠はないと述べる。

そして教授は所得格差の是非について公平の観点から哲学的な合意に達する必要はなく、実利的な判断から何か対策を立てるべきだろうと結論つけている。

☆   ☆   ☆

米国は個人の自由を尊重するだけに、公平原則等で所得格差の是正を論じることは難しいだろうと私は考えていたが、フランク教授の費用収益的アプローチは中々説得力があると感じた。つまり金持ちの所得を更に増やしても、幸福度という効用はほとんど増加しないのである。(たしか限界効用逓減の法則というのがあったなぁ)

一方金持ちに所得が集中することで、中産階級の所得が減ると彼等が受けるマイナス効果は非常に大きく、健全な社会の形成を阻害する可能性がある。だから国民経済的観点から所得格差の是正(税による再配分を含めて)が必要だというのが、フランク教授の主張だ。

中々説得力のあるエッセーだったので紹介した次第である。

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米国の消費スタイルの変化は大不況前に始まっていた

2010年10月21日 | 社会・経済

毎月投稿している金融機関向けの雑誌に今月は「デフレの話」を書こうと思い材料を集めている。そんな中でPew Researchのレポートの中で面白いデータを見つけた。それは「米国で不況が始まった2007年12月より1年程前に贅沢品か必需品かに対する消費者判断の転換点があった」というレポートだ。

少し具体的に見てみよう。Pew Researchは自動車、テレビ、乾燥機、自宅用コンピュータなど耐久消費財について「贅沢品と考えるか必需品と考えるか」を時系列的に調査している。

例えばテレビについて2006年に68%の人が必需品と考えていたが、09年には59%の人が必需品と考え、10年には42%の人しか必需品と考えていない。また固定電話についてはPew Researchが政府のデータを分析して、2001年には97%の人が固定電話を持っていたが、現在では74%の人が保有しているに過ぎない。

このことに関してPew Research自身が「『贅沢品か必需品か』という質問自体が過去の遺物で、2010年の質問は『不用品か必需品か』という質問の方が適切かもしれない」と述べている。

車については90年代の中頃から「必需品」と考える人が非常に緩やかに減少しているが、現在なお86%の人が「必需品」と考えている(09年より2%減少)。米国はやはり車社会であることを実感するデータだ。

テレビに関する消費者の判断は非常に面白い。既に述べたようにテレビを必需品だと考える人は減り続けているにもかかわらず、2009年に一家に2.86台(家族数より多い!)と過去最高の台数を持っている。(ニールセンレポートによると2000年には一家に2.43台だった)

このネジレについてPew Researchは「多分消費者はパソコンなどでテレビを見ることができる時代なので、テレビを必需品と判断しなくなったが、実際にはリアルタイムで観たい娯楽番組があるので実際はテレビを買うという矛盾した行動を取るのではないか」と推測している。

話を「贅沢品・必需品に対する判断の転換点」に戻すと、洗濯物乾燥機、エアコン、電子レンジについて2006年が判断の転換点になっている。06年に83%の人が乾燥機を必需品と判断していたが、10年には59%の人が必需品と判断しているに過ぎない。またエアコンについては06年には70%の人が必需品と判断していたが、10年には55%に過ぎない。

この現象についてPew Researchは「これらの現象を説明するには、経済的要因ではなく他の理由を見つける必要がある」「環境保全に敏感になった人々が洗濯物を天日で乾かすようになったのだろうか?かもしれない。もっともそう宣言する前に洗濯ばさみが復活しているかどうかチェックする必要がるが」と半ば冗談で締め括っている。

☆  ☆  ☆

米国で大不況が始まる前に消費者の必需品に対する判断の転換が起きていたというのは、興味深い事実である。消費者の判断の転換が起きた理由は色々と考えられる。一つは情報・通信技術を中心とした技術革新だ。次に消費者の価値基準やライフスタイルの変化が考えられる。消費者が環境やエネルギー問題に敏感になっているのだ。

それにしても洗濯物を表で干す習慣がなかった米国で乾燥機がないと人々は洗濯物をどうしているのだろうか?室内乾しをしているのだろうか?室内物干しが売れているかどうかチェックしたいものである。

日本では「ものが売れない」ことがデフレの一つの大きな要因として問題になっている。販売者はものが売れないので、値段を下げて売ろうとする。政府は場合によっては補助金を出す。だが値段を下げても売れないものは売れない。そこで更に値段を下げるのでデフレが起きる。エコノミストや政治家達はデフレの犯人探しをする。「日銀の金融政策が悪い」「高齢化が原因だ」「勤労者の所得減少がデフレの元凶だ」などなど。あたかもデフレという巨象を群盲がなでている感じがしないでもない。

だが原点に返って考えると「人々が今までの必需品を不要と考え始めたことには何らかの合理的な理由がある」と考えるべきなのだろう。その合理的な理由とは一つは環境保護であり自分の健康維持だったりする。

そうであるならば個別品目の需要に合わせて供給を調整するしか方法はないのである。つまり供給側が淘汰されなくてはいけない。だが人為的に供給側を行き残そうとすると、際限のない価格競争が続きデフレが続くのである。

消費者の価値観の変化にダイナミックに対応できる経済はデフレの罠を回避しうる・・・・・と私は考えたいがその仮説が正しいかどうか、あるいは私も巨象を撫ぜる群盲の一人かどうかは、今後の米国経済の行方をみるしかないだろう。

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ただいま光ポータブル接続奮闘中

2010年10月21日 | デジタル・インターネット

今日(10月21日)の日経新聞朝刊「新製品解剖」蘭は富士通の「FMVらくらくパソコン」を取り上げていた。文字入力が容易なほか、専用スタンドに携帯電話を置くだけで撮影した写真をパソコンに転送できるなど、使い易い機能を備えているのでシニアに人気が高いそうだ。

シニアって何歳以上をいうのか?詳しい定義はしらないがある調査によると、4割の人が60歳以上をシニア、2割の人が65歳以上をシニアと考えているということなので、私もそのカテゴリーに入りそうだ。

話を今日の本題に戻すと今私は「シニアに最も不向きと思われるドコモのスマートフォンとNTT東日本の光ポータルを接続する」作業に奮闘している。

光ポータルとはNTT東日本が提供する公衆無線ランサービスにモバイルWi-Fiルータを使って接続するというものだ。無線ランのアクセスポイントはJRの駅やプロントなど喫茶店に設置されている。

現在私はスマートフォンXperiaから3G回線でインターネットアクセスを行っている。これで通常のサイト閲覧に問題はないのだが、動画のユーチューブ転送など大きなデータの送受信はできないのでWi-Fi接続を希望していた。そこで少し前NTT東日本が光ポータルを月525円で提供することになったので使ってみることにした。

一昨日モバイルルータと説明書が届いたので、Xperiaから設定を試みたがこれが中々難しい。何が難しいかというとまず細かい字を読むことである。モバイルルータの中にシリアル番号とパスワードが記載されていてこれを読んで正確にXperiaの画面から登録する必要がある。ところがポケットに入る位小さなルータの内側に書かれているアルファベットを正確に(つまり大文字・小文字を判別して)読むのに苦労する。次にXperiaの入力画面が小さい。何故小さいかというとNTT東日本が作っている画面はパソコン向けでスマートフォン向けではないので、スマートフォンでは入力コラムが極端に小さくなる。その小さい画面にシリアル番号やパスワードを打ち込むのはかなり疲れる作業だった。

だがその難関を何とか突破してXperiaからWi-Fi接続に成功。喫茶店のフレッツ・スポットから動画転送を行ったところ、自宅の光フレッツ接続パソコン並の通信速度を確認することができた。

ところがである。フレッツ・スポットから離れてもWi-Fi接続から3G接続に切り替わらないのである。夜NTT東日本に電話で照会したところ、ルータにFOMAカードを挿入する必要があることが分かった。通信に詳しい人なら自明なのかもしれないが、私のような素人にはもう少し詳しいマニュアルがないとお手上げである。

さてこれからFOMAカードを調達してWi-Fi、3Gの自動切換を完成させるか暫く手動切替で我慢するかちょっと迷っているところである。

いずれにせよ、今のところNTT東日本の光ポータルは、ドコモのXperiaに接続することを前提にマニュアルを作っていないので、通信に詳しくない人には少し荷が重い感じがした。また仮に詳しくても、細かい文字をスマートフォンから入力するのはシニアには骨が折れる仕事だ。

今私はスマートフォンなんてオタクっぽいものにはまったことを少し後悔するとともに何とかWi-Fi接続まで進んだことに多少の満足を感じるというanbivalentな気持ちになっている。

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ヘッジファンド、第3四半期は好調さて次は?

2010年10月20日 | 投資

ファイナンシャル・タイムズによると、今年7-9月のヘッジファンド業界は好調だった。この3ヶ月で資産総額は1,200億ドル増加、最大の増加要因は運用資産の5.17%時価上昇(Hedge Fund Researchによる)。ただし年初来ではヘッジファンドの平均的な時価上昇率は4.8%に留まっている。

顧客からのニューマネーは190億ドルで、運用戦略別ではグローバル・マクロとリラティブ・バリューに各々69億ドルの資金が流入した。リラティブ・バリューとは証券間の価格の歪み(アノマリー)を裁定してリターンを上げる手法だが、かかる歪みは中央銀行の非伝統的な金融緩和政策により発生してた。

過去3ヶ月間は好調だったが、先行きについてファンドマネージャー達はfar from certain(まったく不確実)と懸念を示している。ギリシアスタイルの債務危機が突然発生し金融システムに負荷を与える可能性があるからだ。

☆  ☆  ☆

昨日中国人民銀行が貸付・預金金利を0.25%引き上げたことと、米国企業の決算材料出尽くし感から米国ダウは165ドル(1.48%)下落した。しかしエマージング市場の下落はもっと大きい。MSCI Emerging Market 指数は3.17%下落、私が投資しているブラジルETFも3.27%下落した。逃げ足の速いヘッジファンドのような資金が新興国市場のコレクションを予想し始めたのだろうか?

11月のヘッジファンド決算に向けて、好成績を上げたファンドをそれを守ろうとする。だがその動きが市場をかく乱する可能性もある。まさにfar from certainな世界である。

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有罪判決率99.9%は世界的には異常な話

2010年10月19日 | 社会・経済

先週末山に行った時、仲間の一人から「最近はブログに書くネタが豊富で良いですね」と言われた。確かに内外とも色々な出来事は多い。だが国内の出来事についてはマスコミ、ブログ、ツイッターなどで多くの情報やコメントが流れているのでワザワザ取り上げなくても良い・・・という気持ちになる。特に専門外のことについては、である。大阪地検特捜部の証拠捏造事件についても、その道の専門家が色々分析されているので、私のような門外漢があれこれ述べることはないのだが、日本の社会が抱える問題の断面が見えるという点から少しコメントを述べてみたい。

日本の社会の断面とは一言でいうと未だに残る「官尊民卑」である。少し詳しくいうと三権分立とは言いながら、刑事裁判においては「検察」(行政)が「裁判所」(司法)の機能を代行し、立法においては「官僚」(行政)が「国会」(立法)の機能を代行する(これは現在「政治主導」ということで変革中という話だが)。

最近日本のことをほとんど取り上げなくなったエコノミスト誌が珍しくProsecutors or persecutors「検察か迫害者か」という記事で日本の刑事裁判の問題を世界の読者に紹介していた。その話の内容は日本のマスコミに流れているものと重複するので、細かい紹介は省略するが、欧米諸国の有罪判決率と人口当たり弁護士の数を紹介しよう。

記事によると日本の有罪判決率は99.9%でこれは中国と同じレベルだ。米国、ドイツ、英国の有罪判決率は85%、81%、55%である。これについて日本は刑事訴訟に係わる人的資源が少ないので、検察は有罪の確信が持てる事件だけを訴訟に持ち込むと日本の法律家は擁護している。ある東京地検の元検事は、もしある検事が一回敗訴するとキャリアをひどく傷付けられ、二回の敗訴はキャリアの終わりにつながるだろうと述べている。

エコノミスト誌に出ているグラフによると、日本の弁護士は人口4千6百人程度に1人。米国では2,3百人に1人、英国とドイツは5,6百人に1人、フランスは弁護士の数が少し少ないがそれでも1千名強に1人という割合だ。つまり日本の弁護士の人口比率は欧米の10分の1程度だと同紙は述べている。なお同紙は言及していないが、欧米の弁護士は日本の司法書士のような仕事も行うので、この数字だけで弁護士の多寡を論じると少し危険かもしれない。しかし日本の弁護士が少ないことは間違いないだろう。

エコノミスト誌は「被疑者は罪状なしに最大23日まで拘留され、弁護士へのアクセスはほとんどない。警察では10時間の取調べを受け、精神面と口頭での虐待を受ける」と紹介している。

この当りになると幸いなことに私は逮捕された経験がないし、欧米のスタンダードも知らないが、恐らく欧米の読者の中には「日本は法治国家といってもかなり中国に近いな。」という印象を持つ人がいるだろう。

この当りのことについては今日(19日)の日経新聞で、刑事訴訟法の専門家 大出良知東京経済大教授が次のように書いている。

「(操作中に間違えましたと言い出せない雰囲気を加速させたという)歴史的な流れで見れば、今回の事件は起こるべくして起きたといえる。過去の冤罪事件でも、程度の差こそあれ・・・・明らかになっていない改ざんはほかにもあるはずだ。・・・実態を知りながら目をつむってきた裁判官も共犯だ。メディアにも責任がある。検察の起訴だけで犯人視する報道を続けてきた」

このようなことが起きた原因について、私は「お上の無謬性」神話を検察や裁判所が守ろうとして、事実を検察のストリーに合わせる悪弊に陥ったことにあると考えている。

このような悪弊は民間企業では法令遵守の徹底や内部告発制度の整備でかなり減っている。

だが「官」においては、悪弊にようやく日が当り始めたところである。悪弊を改めるスタート点は「人は判断を誤る可能性のあるものだ」「官は官尊民卑ではなく、国民にサービスするためにある」という原点に帰ることである。

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