金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

カタクリと伊吹山

2011年04月25日 | 

先週末花で有名な伊吹山に登ったが、花のシーズンには少し早くほとんど花と出会うことがなかった。それでも三合目でカタクリの花を見ることができた。

Dsc00331_2

カタクリの向こうに伊吹山が見える。頂上は写真中央部で左に少し残雪が見える。

カタクリ以外ではアマナの花が目についた。

Amana

 

伊吹山で思い出される和歌は百人一首にある「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじなもゆるおもいを」という歌だ。

装飾的な前半の部分は横において大意を見ると「伊吹山のもぐさのように燃える私の思いをしらないでしょう」というストレートな愛の告白の歌である。

もぐさはヨモギの葉の裏の繊維を臼でつき、乾燥させたものでお灸に使われる。今回の伊吹山登山では、三合目付近までスキー場跡の草地を歩くことが多かった。その草の中にヨモギが混じっているかどうかは分からなかったけれど、ふと思い出したのがこの歌だった。

伊吹山は里人達に花と共に貴重な収入源も提供していたのだろう。

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みずほの西堀頭取辞任記事雑感

2011年04月25日 | リーダーシップ論

土曜日の朝日新聞に「大規模なシステム障害のため、みずほ銀行の西堀頭取が6月にも辞任する」という観測記事が流れた。土曜日の朝日新聞は読んでいなかったが英文ロイターに朝日の記事が引用されたので知った次第。

私は西堀頭取とは面識がないが、彼は高校(京都教育大学附属高校)の2年後輩であり、かつワイフの同級生である。ワイフによると「高校時代は優秀だったと思うけど目立たない人だった」ということだ。歴史の浅い高校(私が第2期生)の中では、ビジネス界の一つの頂点までいった人物といって良いだろう。不本意と思われる辞任(今のところマスコミ人事だが)に同情と同窓生としての寂しさを感じざるを得ない。

ところで「みずほのシステムトラブルの本質的原因は何だろう?」ということを少し考えてみた。

朝日の記事によると古いシステムを改善せず、トラブルを想定した体制も整えていなかったことがわかり、被害を広げた経営の責任は免れないと判断した。

トラブルを想定したマニュアルや体制が整っていなかったため、復旧作業が混乱。他のシステムも止めて入出金を確認しなければならなくなり、障害が全体に広がった。

約20年使っているシステムの老朽化に対応してこなかったため、最新システムと違ってプログラムが複雑なままだった。これも復旧を難しくさせた。

ことが指摘されている。

これだけを見るとシステム面の体制不備が問題の根幹ということになるが、私は業務や商品面の整理・統合が進んでいないことがより問題の本質ではないか?と推量している。

銀行システムに限らず、システムは万能手段ではない。システムは商品やサービスを「自動処理化」したものであり、システムを合理化するには、まず商品やサービスを合理化し、無駄を省いていかなければならない。システムの限界を考えながら商品やサービスの設計を考えないとシステムに負荷がかかり過ぎる場合がある。

例えば日本の銀行統合が米国の銀行統合などに較べて大変なのは、通帳があったり(米国では通帳がなくステートメント方式)、高度なATMが存在するからだ。

そしてそれ程違いがあるとも思われない金融商品が並列的に沢山存在する。それらを全部システムで賄うとすると、システム面の人材・予算はどんどん逼迫する。

つまりみずほ銀行のシステムトラブルの本質は、商品やサービスの整理・合理化が遅れていたことの帰結というのが私の推論である。別の言い方をするとロジスティクス軽視のツケともいえる。

みずほのシステムトラブルの直接的な原因は震災義捐金振込みが集中したと言われている。ある意味ではみずほも震災の被害者ではあるのだが、東電と同じくロジスティクスを軽視したオペレーションのツケが回ったともいえる。

西堀氏の不本意に辞任からみずほGの人達は何を学ぶことができるだろうか?

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還暦の超人と一夜酒を酌み交わした

2011年04月25日 | うんちく・小ネタ

先週金曜日の夜は名古屋で昔の知人達と酒を楽しんだ。私の名古屋出張に合わせて、10年来の知人プルデンシャル生命のIさんが親しい仲間を集めてくれたのだ。

その中の一人に初めて会う神園泰比古さんがいた。神園さんは京大山岳部のOBでエベレスト等への遠征記録(エベレストはサウスコルまで)を持つ本格的登山家だ。だが神園さんの凄い点は過去形でないところだ。彼は超長距離を走るランナーなのだ。超長距離ってどれ位?というと例えば、名古屋と金沢を結ぶ「さくら道270kmマラソン」というレースを神園さんは完走している。

ある人のブログで神園さんの完走時間を見ると46時間32分12秒。46時間というとほぼ2昼夜だ。仮に時速7kmで走ったとすれば走行時間は39時間(睡眠・休憩時間は残りの7時間)ということになる。まさに超人の世界。

その神園さんが来週走るのが「第7回 日本横断「川の道」520kmフットレース」だ。http://www.sportsentry.ne.jp/event_print.php?tid=24743

これは4月30日午前9時に葛西臨海公園駅前をスタートして、荒川に沿って走り三国峠を越えて千曲川上流に出て、新潟市まで走るというものだ。制限時間は132時間とある。

この三国峠は国道17号が通る三国峠ではなく、秩父の山奥から高原レタスで有名な長野県川上村に超える道にある1740mの峠だが、埼玉側は未舗装という悪路だ。ロードクリアランスの大きいSUVでないと車のお腹をする位の手強い道なのだ。

話が学生時代の登山のことになり、私が「神園さん、私は大学時代に京大山岳部の方が剣岳のカニの横ばい付近で転落された時、救助活動を手伝ったことがあるのですよ」というと、神園さんは私の手を握り「ありがとうございました。あの時は本当に助かりました」と話が弾んだ。山の世界は広い様で実に狭かった。そして神園さんと私は同じ年であることが分かった。

その神園さん、今回のウルトラマラソンを最後にランニングは卒業して、岩登りをするというからまた凄い。彼の奥さんが同志社大学の山岳部出身で一緒に北鎌尾根を登るために岩登りのトレーニングをするというのだ。

☆   ☆   ☆

4月30日は余程の用事でも起きない限り、秋ケ瀬公園まで出かけて走ってくる神園さんを応援する積もりだ。「菅笠を被っているから分かると思います」という神園さん。葛西臨海公園から秋ケ瀬公園は約40km。午後2時過ぎには神園さんの元気な姿を見たいものだ。

そして神園さんから元気とチャレンジ精神を分けて貰おうと思う。私自身は超長距離マラソンはおろかフルマラソンを走る予定もないが、山登りの目線は少し高めたいと考えている。

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花咲く前の伊吹山

2011年04月25日 | 

4月24日日曜日晴ただし時々霧。会社の山の仲間4名および名古屋地区の銀行OB3名合計7名で伊吹山に登った。当初の予定では土曜日に伊吹山に登り、日曜日には鈴鹿の御在所岳を登る予定だったが、雨のため土曜日の登山は中止し、日曜日に伊吹山に登ることにした。

長浜の豊公園内の国民宿舎・豊公荘(ほうこうそう)を7時半前に車で出て、コンビニに立ち寄り、8時10分頃伊吹山登山口に到着。5百円払って民家の前に駐車する。8時20分頃登山開始。最初は神社の右手杉木立の中のぬかるんだ坂を登って行く。20分程で広々とした草斜面が広がる一合目に到着。以前はスキー場だったが、今は雪のないときパラグライダーのゲレンデになっている。高山植物で有名な伊吹山だが、花の時期には少し早く花はほとんどなかった(帰り道に見つけたカタクリの写真は別のブログに載せます)

ここからは広々とした斜面の登りが続く。登山口の標高が230m頂上の標高は1377mで伊吹山登山は高度差1200mを越える登山なのだが、歩き易くて無駄がないため、比較的楽に登ることができる。時々ランニングシューズのトレイルランナーが駆け登っていく。トレイルランに適した山だ。ただし石灰岩が露出しているところが多く、湿ると大変滑りやすい。

傾斜が増してくる七合目付近で霧の中に入った。道はジグザグを繰り返し高度を上げていく。高度計が1300mを超えた時、平らな頂上部の一角にたどり着いた。9合目である。その上部に残雪があった。

頂上到着は11時15分丁度3時間の登りである。何という幸運だろう。頂上に着いた時ガスが切れて視界が広がった。

伊吹山ドライブウエイが土曜日に開通したので、車で登ってきた人たちが頂上の雪田に歓声を上げていた。

滋賀県側もガスが晴れて米原方面の水田が見える。強い上昇気流に乗って鳶(トビ)が悠々と舞っていた。風は強く私は羽毛ジャケットを羽織って昼ごはんを食べた。

頂上にはヤマトタケルの像が西を向いて立っている。大和の国を見ているのだ。伊吹山の頂上にはドライブ客をターゲットとした売店・食堂があり、登山登山していないが、それを忘れさせる雄大な景色があった。

関西に生まれ関西で山登りを始めた私だが、実は歩いて伊吹山に登るのはこれが初めてだ(車では両親・子供を連れて来たことがある)。

12時過ぎに下山開始。2時前には登山口に戻り、泥だらけの靴を神社の横の流れで洗い車で新幹線米原駅に送って貰った。車に乗ると雨が降り出してきた。米原駅到着が2時40分。タイミング良く十数分後のひかりに乗り東京へ向かった。総てが絶妙なタイミングの伊吹山登山だった。

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雨の湖東を歩く

2011年04月25日 | 旅行記

4月23日土曜日雨。この日は伊吹山を登る計画だったが、中止して関ヶ原古戦場から湖東方面を散策することにした。

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長年新幹線で関ヶ原を通過しているが、古戦場に立ち寄るのは初めてだ。雨が強いので古戦場めぐりはやめて、資料館でジオラマをみた。

次に彦根城に向かった。雨に濡れた城は風情がある。

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桜はかなり落花している。10日程前はさぞ美しかったろう。

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彦根城は関ヶ原の戦いの後に作られた城で戦争は経験していない。

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石垣の反り具合が優雅だ。

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天守閣の中も見学できる。

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天守閣の木組み。オリジナルは木の組みあせだけで作られ、釘一本使われていない(昭和の解体修理時に補強金具を使った)。

天守閣を降りて黒門山道から、玄宮園という庭園に向かった。天守閣が小さく見える。池と天守閣最上階の標高差は60mだ。毎日登り降りすると中々の運動だ。

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表門の外に馬屋があった。馬屋の桜が綺麗である。彦根藩には美学がある。

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彦根城の前の通りは観光客向けによく整備されている。そこで昼食を取り、次は多賀大社に向かった。

参道にはそびえるような太鼓橋が掛かっている。丸太が渡してあるので登り降りすることができたが、丸太がないとスリップする。

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多賀大社の拝殿。金具がきらびやかだ。

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雨の湖東地方散策の最後は西明寺だ。湖東三山の一つで天台宗の古刹だ。駐車場へ行く途中猿の一群を見た。

写真は国宝の本堂。春の雨に包まれ風情がある。内陣の仏像郡については年配の男性が懐中電灯を使って丁寧に説明してくれた。説明によると、信長の比叡山延暦寺焼き討ちの後、信長軍は西明寺にも攻撃を仕掛けた。その時機転を利かした僧侶が山門の前で火を燃やしたところ、寺が炎上したと思った織田軍は引き上げ、仏像が守られたということだ。

境内の三重の塔も国宝だ。

西明寺は苔が美しい。雨は美しさを引き立てる。

雨のため伊吹山登山は翌日に持ち越しとなった。その雨のため湖東の名刹を見ることができたことは冥利に尽きると言ってよいだろう。

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