今日(10月6日)の日経新聞朝刊の大機小機の欄は「メガバンクとイノベーション」という題で、本邦メガバンクの行方に示唆を与えている。「公的資金返済を越えて潤沢になった収益をどこに振り向けるかだ」「個人、海外、証券業務という成長機会は明らかだとして、いかに独創的な戦略を組み立てられるか」「むやみな膨張を回避して、経営の規律を維持していくことができるか」ということが日経新聞の主旨だ。
本題に入る前に大機小機の論者に一言、言っておこう。本質的に金融機関の戦略にそれ程独創的なものはない。何故なら今日の金融というものは一金融機関が行なうものではなく、同業を含めて多くの参加者が金融を作っているからである。このことは現在日本でも拡大しているシンジケーションローンを考えると良く分かる。以前は貸し手と借り手の相対(バイラテラル)取引であった。これが今多くの銀行やノンバンクが参加するシンジケーションローンに移行する傾向にあるのだ。シンジケーションローンでは多くの参加者が取引の仕組みを理解し納得することが一番大切だろう。もう一つ例を挙げよう。例えばデリバティブ取引、いかに優れた仕組みを作ってもカウンターパーティや将来の参加者が理解できない程独創的なモノを作ってもどうにもならない。金融の本質は必ずしも独創性にあるのではなく、優れた模倣性にもあるのだ。ところが独創性のない人間に限って声高に独創性を叫ぶ傾向がある。今メガバンクに必要なのは独創性ではなく、世界の一流プレーヤーの模倣だろう。
しかし模倣というものは決して易しいものではない。以下世界最高級の商業銀行であるHSBCがどうして投資銀行部門で世界一流になれなかったかをウオール・ストリート・ジャーナルの記事(10月5日)を通じて見てみよう。
- 2年前(2004年)にHSBCは投資銀行業務の強化を掲げ、モルガンスタンレーの欧州投資銀行部門のトップ層のスタッド(John Studzinski)氏を部門の共同責任者に採用した。
- ところが2年も経たない内にHSBCは投資銀行部門で世界一流のプレーヤーになることをあきらめ、スタッド氏ら部門の幹部社員を事実上解雇した。
では何故こういうことが起こったのか?ということだが、その前に何故HSBCは投資銀行部門強化に向かったかということを見てみる。
- HSBCの苦闘は、巨大な資金、高いリスクというウオール・ストリートの文化が伝統的な銀行(つまり商業銀行)を同じ土俵で戦わせるという世界の銀行業で起きている激変を物語っている。
- 大銀行の合併により、企業融資や個人融資あるいはキャッシュマネジメントといった単純なサービスを提供する多国的な金融機関が誕生してきた。企業融資等は今や平凡なサービスになってしまったので、最小限の利益しか得られない。そこでHSBCのような伝統的な銀行は新しい収入源~それはしばし投資銀行部門であるが~を探している。なおHSBCは世界76カ国でローンやキャッシュマネジメントサービスを展開する国際業務のトップバンクであることを蛇足ながら補足しておこう。
この状況は漸く公的資金を返済し終え新しい収入源を求めるメガバンクと完全にオーバーラップする。さてそれでHSBCはどうしたか?
- 2003年にHSBCのジョン会長はM&Aのアドヴァイザリー業務、株と債券の引受、より複雑なデリバティブ商品の発行といった投資銀行業務へHSBCを押し進める5年計画を立て、最初の2年で最低8億ドルの予算とした。投資銀行部門のヘッドは前述のスタッド氏~この様な上級職を外部採用することは極めて稀~と同行生え抜きのトレーダーであるガリバー氏の2人体制とした。
- スタッド氏はM&A、企業アドヴァイザリー、株債券の引受を担当し、ガリバー氏がトレーディングとセールスを担当した。この二人は明らかに合わなかった。二人は1年強の間に2千人の社員を採用した。このため投資銀行部門のコストは32%上昇して58億ドルになった。しかし取引は拡大せず、データ提供業者のデーロジック社によると、HSBCは2004年のリーグテーブルで16位に過ぎなかった。
ここでふと私は少し前、ある信託銀行の社員と投資銀行業務について話し合ったことを思い出した。その社員は融資部門の中枢にいる中堅社員であったがどうも「投資銀行とは自己勘定でリスキーな資産に投資する銀行」と思い込んでいる様であった。更に言えばその信託銀行の上級役職員までもがその様に思い込んでいる節が見受けられた。投資銀行の本質はレバレッジである。丁寧に説明すると自分でも少量のリスクを取りながら、そのリスクをレバレッジとして大量に引き受けた株・債券・ローンその他あらゆる金融商品を他の投資家に販売することでコミッションを極大化する商売なのである。長年の日本の銀行業界の沈滞がこの程度ことすら分からぬ人間が課長・部長になる人材の枯渇を招いたことは誠に嘆かわしい。
いや話が横道にそれてしまった。では何故HSBCは投資銀行部門で上手く行かなかったのか?
- HSBCはM&A業務において顧客が望むようなサービス、例えばリスクの高いファイナンスをタイムリーに提供できなかったのである。HSBCにおいて稟議書はロンドンの本社まで送付する必要があったが、そのプロセスには時間がかかった。典型的な投資銀行では意思決定は迅速である。またM&Aファイナンスで重要なハイイールド債券を取り扱える人材をそろえていなかった。
- 伝統的な商業銀行部門と投資銀行部門の共同作業も上手く行かなかった。アジア地区の最高責任者のスミス氏は投資銀行のスタッド氏が自分の領域を侵略していると感じていたとある元社員は言っている。
- 2005年上半期に営業収入は前年同期比3.6%伸びただけなのに、コストは24%も上昇し、税引前利益は18%減少した。2005年8月ジョン会長は投資銀行部門を構築するコストの大部分は費消したとので今後のコストの伸びは抑えると投資家向けのレポートで公表した。
- 2005年11月にジョン会長は来年5月に退任すると発表した。投資部門のスタッド氏は彼の支援者を失った。06年2月にスタッド氏は多くの職務から外され、後任はガリバー氏になった。そして先月スタッド氏はHSBCを去り、ニューヨークのブラックストーングループのM&Aアドバイザーになった。
余談だが職務から外されるという文章は原文では He was relieved of many of his responsibilities.となっている。Relieveという動詞は「救済する。軽減する」という意味だが、「解任」の婉曲的な言い方でもある。英語は直接的な表現が多いが婉曲な言い方も沢山ある。Dismissなどというより数段奥ゆかしいので知っておいて良い言葉だ。
- 2006年のHSBCの投資銀行部門の税引前利益は前年同期比37%増加した。また同行は最近大型買収案件のアドバイザーに名前を連ねている。しかし大部分は追加的なファイナンスを行なう二番手の役割である。
以上HSBCの話だ。
投資銀行という最もウオール・ストリート的な領域に入り込むことが如何に困難なことかということが多少は想像がつく。それは企業文化と役員クラスの利権争いという難問が待ち構えているからだ。恐らく日本のメガバンクがこの分野でHSBC以上の成果を上げることはまず難しいだろう。
ということはメガバンクはやはり国内に大きな収益源を求めざるを得ず~無論アジア諸国でリスクとリターンの割が合わない貸出をやる方法もあるが~、それは国内の金融機関の一層激しい競争を呼ぶことになるだろう。日本の銀行界のハルマゲドンの始りである。