北朝鮮のような独裁国家が何故核を保有することが危険なのかを考える歴史上の良い教材は朝鮮戦争の発生経緯である。私は広島・長崎の被爆者よりはるかに多い北朝鮮人が既に核戦争で死んでいると考えているがこのブログを読んでもらうとその理由がご理解頂けると思う。もっとも核戦争の中に核爆弾を準備するための戦争を含んでの話だが・・・・・この問題を今までにない程鮮明に浮き立たせているのが、ユン・チアンの「誰も書かなかった毛沢東」なのでポイントを紹介しておこう。
- 毛沢東がスターリンに何より期待していたのは、中国が世界の軍事大国となるための援助だった。(第33章 二台巨頭の格闘)
- 1950年9月から10月にかけて、毛沢東はベトナムでの軍事活動を縮小した。スターリンから割り当てられた別の縄張り、すなわち朝鮮半島で、もっと大規模な戦争に集中するためである。・・・・・中国がスターリンに代わってアメリカと戦い、それと引き換えにソ連が技術と装備を提供する―毛沢東が考えたのは煎じ詰めればこういう取引だった。(第34章 朝鮮戦争を始めた理由)
- スターリンにとって朝鮮戦争の最大のうま味は、毛沢東が中国の膨大な人的資源を使って多数のアメリカ兵を殺すか釘付けにしてくれれば軍事バランスがスターリンに有利に傾き、陰謀(ヨーロッパ諸国の占領)が現実可能になるかもしれない、ということだった。(第34章 朝鮮戦争を始めた理由)
- 1950年10月に中国軍が参戦したとき、北朝鮮軍は敗走中だった。それから2ヵ月後、毛沢東の志願兵は国連軍を北朝鮮から追い払い、金日成の独裁を復活させた。金日成はもはや軍事的統帥力を失い、消耗しきった7万5千の朝鮮人民軍は45万の中国人民志願軍に六対一で圧倒されていた。(第35章 朝鮮戦争をしゃぶりつくす)
- 朝鮮戦争が始まって1年以上が経過し、そのあいだに北朝鮮はアメリカの爆撃を受けてぼろぼろになった。このままでは荒廃した国土が残るだけ・・・と見た金日成は戦争の終結を望んだ。・・・・1952年初頭、金日成は戦争を終わらせたいと必死になっていた。・・・アメリカ軍の爆撃で、北朝鮮は瓦礫の山と化していた。・・・おそらく、成人男子の三分の一は戦死したものと思われる。・・・・毛沢東は朝鮮戦争の継続に固執した。欲しいものがもうひとつあったのだ―原子爆弾である。
以上が「誰も書かなかった毛沢東」のポイントである。つまり韓国を支配下におきたいという金日成の地域的な欲望を利用した毛沢東とスターリンの野望が、北朝鮮を瓦礫の山にして数百万人の南北朝鮮人と40万人以上の中国志願兵を殺したのである。その毛沢東の欲望の一つが原子爆弾の保有であることを思うと、北朝鮮ほど原子爆弾に祟られた国はないと思えてくる。
もし今回北朝鮮が原爆実験に端を発する経済制裁で崩壊するなら、本当に北朝鮮は原爆で荒廃し、原爆で滅んだということになる。
広島・長崎で数十万人の日本人が二発の原爆の犠牲になったが、原爆を使わなかったといえ朝鮮戦争に死者ははるかにその数を上回る。また1990年代の北朝鮮の飢饉による死者も一説によると2百万人―3百万人と言われている。その飢饉の大部分は朝鮮戦争の後遺症と軍事偏重の金政権の責任によるものだろう。
それにしても2百万、3百万人の餓死者というのは凄まじい数字だ。1972年から74年にかけてエチオピアで20万人から40万人の人が飢饉で死に、ノーベル賞経済学者のアマーティア・センは「この時代において10万を越える餓死者は許されるものではない」と非難している。彼は北朝鮮の餓死者の数に何というのだろうか?因みに当時のエチオピアの人口は27百万人で、北朝鮮の人口はそれより少ない21百万人である。絶対数においても死亡比率においても桁外れに北朝鮮に状況は悲惨である。
この悲惨が世界制覇や原子爆弾の保有という狂気の独裁者の野望で引き起こされたことを見ると、独裁政権は倒さなければならないのである。
また歴史的責任ということを問題にするならば、中国は北朝鮮の悲惨な歴史について大きな責任を持っているといわざるを得ない。もっともこの話は北朝鮮と中国では最大級のタブーであろう。私は「誰も書かなかった毛沢東」の内容は基本的に正しいと考えているのだが、これが20世紀中頃の北アジアの正史として認められる日は来るのだろうか?