金融そして時々山

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高校の校長は「大学」を読むべし

2006年10月27日 | 社会・経済

最近全国の高校で必修科目逃れがあったことが話題になっている。今朝(10月27日)の読売新聞によれば35都道府県249校に及ぶそうだ。世界史の授業としながら、受験しやすい地理を教え世界史の単位を与えるというようなことをしていたということだ。

こういう問題だ出てくると「識者」と称する人が出てきて、もっともらしい意見を述べる。たとえば御茶ノ水大学の耳塚教授は日経で「高校だけを責めるのは酷」などともっともらしいことを言っている。こういうのを盗人にも三分の理というのだろう。

言い分はどうあれ不正をしない、正直な人間を作るというのが教育の根本であろう。多少の知識があっても不正をするような人間を作ってどうなるのだろうか?まず高校の校長達責任者はその点について猛省するべきである。もし四書五経の「大学」を読んでいないなら反省の手がかりとしてまず「大学」を読むべきだ。日本の大学とはこの中国の古典「大学」に由来する。では「大学」は何といっているのか?以下はそのポイント。

  • 大学の道とは明徳(おのずから備わった徳)を明らかにすることだ。
  • 徳を明らかにしようとするものは国を治める。国を治めようとするものは家を整える。家を整えようとするものは身を修める。(ここから修身ということば出た)
  • 身を修めようとするものは心を正しくする。心を正しくしようとするものはその意識を誠にする。

つまり「大学」の道はまず「心を正しくする」ことが重要といっているのだ。教育者はまずその身を修めて欲しいものである。

コメント (1)
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