6月1日から中国で企業破産法が施行される。これに関してエコノミスト誌が「企業に安楽死を」というタイトルで記事を発表している。興味深いのでポイントを紹介しよう。さて安楽死だが原文ではEuthanasiaという一単語が使われていたが、この言葉を覚えておける自信はない。もっと易しい言葉のMercy killing(慈悲的な殺人)の方が覚えやすい。
- 破産のない資本主義は地獄のないキリスト教のようなものである。清算という言葉は言葉の響きほど汚らわしいものではない。清算は破産している企業の資産を経済サイクルに戻し、うそを暴く。中国には機能的には死んでいるが法的には生きているという企業が多い。売掛金勘定にはそのような企業の債務が計上され悪夢のような状態を作り出している。
- 中国では破産という概念はやっかいな問題だった。伝統的には債務は父から子に引き継がれる。また共産主義の下でも破産はトラブルの種だった。何故なら資産から従業員の福祉まで総ては国家の手の中にあったからだ。
- 1986年に国有企業に関する破産法が制定され国家の監督機関は国有企業を破産させることができるようになった。残余財産に対する最初の請求権は従業員が持っていた。しかし民間企業の破産に関する規定は存在しなかった。この欠点は1990年代後半に起きた広東国際投資信託公司などのデフォルト時に明らかになった。巨額の債務は多額の費用を要する国の仲介によってのみ解決されたのである。
- 企業破産法の制定は労働者により妨害されていたがようやく制定された。企業破産法の元では労働債権は無担保債権にのみ優先することになり、破産時に労働者の取り分がなくなる恐れがある。
- 企業破産が社会的に大きな変動を起こすかどうかはどれ位の企業が破産するか、新しい職があるかどうか、政府が緊急支援を出す仲介にでるかどうかにかかわっている。
- 労働者は侵食されるだろう。
なおエコノミスト誌によると企業破産法は中国でオペレーションを行っている外国企業にも適用され、中国政府は中国内の資産をコントロールしている中国外の企業にも司法権が及ぶと主張している。この点についてはもう少し勉強した上でコメントしよう。
さてこの記事で一番印象に残った言葉は「破産のない資本主義は地獄のないキリスト教のようなものである」という一文だ。私企業の破産法が制定されたことは中国が資本主義へ向けて更に大きなコーナーストーンを回ったことを意味する。
ところで日本にははるか昔から幾つも企業破産に関する法律があり、沢山の企業が破産してきている。しかし国家や地方公共団体あるいは金融機関、親会社が支援することで生き延びている企業が沢山存在することも事実だ。まさに法的には生きているが機能的には死んでいる企業だ。その様な企業の中に埋もれている物的・人的資源は意外に多いかもしれない。
何年かして中国の方が日本より企業整理を推し進めて、より資本主義化している・・・ということもあり得るかもしれない・・・。