この前の週末に登った蓼科山2530mは深田久弥の日本百名山の一つである。日本百名山は「古い本によると、浅間山を北岳、蓼科山を南岳と呼んで、この二つを東信州の名山としている」と書き出す。
蓼科山の頂上からは浅間山2542mが良く見えた。浅間山の左手、写真の中央は四阿山(あずまやさん)2333mである。この山も日本百名山の一つだ。
蓼科山や浅間山より標高や知名度は落ちるが、頂上からスキーで滑り降りることができる雪の名峰である。
蓼科山の頂上は広い。もし陽気が許すなら1時間でも2時間でものんびり過ごしたいところだ。
初秋に蓼科山に登った深田久弥は「秋風に吹かれながら、石ばかりの頂上で私は一時間あまり孤独を味わった」と書いている。これは秋なればこそできること。真冬では20分程度の散策で切り上げざるをえない。
頂上から南に目をやると、親戚筋の南八ヶ岳連峰がよく見える。
右から編笠山、権現岳、阿弥陀岳、小さな中岳をはさんで主峰の赤岳、そして横岳、その手前が天狗岳である。八ヶ岳は火山だ。一番早く噴火したのは赤岳でそれだけ侵食が進み、険しい山容となっている。編笠山は新しい山なので侵食が進まず、円い山頂を残している。
この蓼科山も比較的新しい火山だ。だから円い山頂が残っている。
斉藤茂吉に「蓼科はかなしき山とおもひつつ松原なかに入りて来にけり」という歌がある。なぜ蓼科が悲しい山なのか私には分からない。侵食が進まず、陰影に乏しい蓼科山から私は屈託のない明るさを感じる。
むしろ私の個人的な感慨は南八ヶ岳の横岳を見た時に募った。それは少し前に他界された大学山岳部の坂本先輩と横岳・石尊稜を冬に登ったことがあったからだ。40年程前のことだが、薄く雪を着けた石尊稜の取り付きが中々渋かったことを今でも思い出す。
私達は山を登りながら、思い出の中の何かを辿っているのかもしれない。
さまざまのこと思い出す冬の八(やつ)・・・北の旅人
いや、これは芭蕉の「さまざまなこと思い出す桜かな」の盗作になってしまった。