Hold waterは直訳すると「水を保つ」だが、イディオムとしては「説得力がある」とか「十分論拠がある」という意味だ。オンライン辞書には、stand up to critical examinationという説明が出ていた。
今週のエコノミスト誌はトヨタのリコール問題を取り上げ、「トヨタの問題は日本型の企業統治の失敗が原因だ」と論じている。その中にThat argument no longer holds water.という文章があった。「その主張はもはや説得力を失った」という意味だ。その主張というのは「トヨタは社外重役を採用しなくても完璧にやっているから、我々も社外重役を採用しない」という日本の経営者達の主張だ。
エコノミスト誌は「トヨタは問題を読み違えて、誤った処理をしたため被害を大きくした」と論じ、その原因は日本型の調和を重んじる社内体制では問題を社内序列を越えて上級者に伝えることは極めて難しいことにあると主張している。そしてトヨタの役員は全員トヨタ社内の人間で総て日本人であるから、「外部の目」で問題を見ることができないとも主張している。
この主張はいささか牽強付会な気がしないでもない。欧米のように社外取締役を設置すれば、企業統治は完璧になるのか?というそうではあるまい。実際エンロンやワールドコムのような巨大な不正が行われていることは同誌も認め、欧米型にもそれなりの問題はあると述べている。
トヨタの問題の本質は何か?ということについて、私はむしろ「品質に対する自信過剰」が一番の問題であったと考えている。また外部から供給される部品の品質管理に問題があったのではないか?と見ている。であるから社外重役云々というのは繰り返しになるが、ややこじつけではないか?と考えている。
しかし暫くの間、日本型の企業統治や危機管理についてあれこれと批判が出てくると思われる。これらの批判に頭から反発することなく、耳を傾ける姿勢は必要であろう。