原発危機が続いている。noutoriさんからは「司令官はオタオタしていはいけない。日露戦争の時の大山巌元帥のようにどっしり構えるべきだ」というコメントを頂いた。
noutoriさんのご主旨とは異なるかも知れないが、今回の原発危機の発生原因と対応の不手際さは、私は「実戦経験の欠如」によるものであり、日本の文系秀才選抜社会の弊害がでたと感じている。
日本において大山巌や児玉源太郎のような優れた司令官、参謀総長は概ね日露戦争で終わったのではないだろうか?その後大正デモクラシーを経て、日本は再び中国との戦争を皮切りに長い戦争の時代に突入した。
しかし対米戦争時における日本の将官の任命状況と米国の将官状況を見ると大きな隔たりがある。日本では対米開戦時においても「ハンモックナンバー」と呼ばれる陸海軍大学校の卒業席次を守った「発令」を行っていた。だから南雲中将のような水雷戦の専門家ではあるが、航空戦の素人が空母艦隊の司令官になり、ミッドウェー海戦の敗戦の一つの要因になる。一方米軍も平時は「ハンモックナンバー」に従った発令を行っていたが、戦時になると勇猛なニミッツを二階級特進で太平洋艦隊司令官に任命するという適材適所主義を取った。日本の敗北は基本的には日米の圧倒的な物資の差によるというべきで、人事面に過度の敗北要因を求めるべきではない。しかし日米の司令官人事の差が日本の敗北を早めたことは間違いない。
では旧日本軍の人事の問題は何か?というと陸海軍大学の成績順位を余りに重視したことであると私は考えている。別の言い方をすると、秀才を重視し過ぎたのである。軍隊組織の中で出世するのは矢玉をかいくぐる第一線の将兵ではなく、赤レンガの参謀本部で机上の計画を述べる「秀才」と相場が決まってしまった。
秀才は政府や会社を含めてあらゆる組織に存在し重要なポストを占めている。彼等は既得権益者か権益を得るレールに乗った人間である。だから責任回避能力に長けている。「どうすればできるか?」ということをトライする前に「出来ない理由を見つける」ことに専念する連中なのである。
この問題は昨日今日起きた問題ではなく、恐らく日本では日露戦争後から発生した問題だと私は考えている。大袈裟にいうとその辺りで発生した官僚主義とか形式主義の弊害が蓄積して、今日の原発問題の遠因をなしていると私は感じているのである。